東京では、告別式後の火葬が一般的だ。しかし、東北地方や関西などでは通夜後、告別式前に火葬するところも多い。
「東京から最期に顔を拝むつもりで参列したら、既にお骨になっていた、という話を聞くこともあります」(小林さん)
食べものにまつわる報告も興味深い。
「餅やおこわを配るという話は各地で聞きますし、福井県や島根県では『赤飯を食べる』、北海道では『黒豆を入れた黒飯を食べる』という報告があります。神奈川県の川崎市の一部では、『納棺時に親族で豆腐を食べる』そうで、山形県の最上地方は出棺後、お清めとして塩、スルメなどを食べるところも。青森県では白米に砂糖を振りかけて供することもあるようです」(同)
儀礼もさまざまだ。
「遺体を囲むように高い屏風を立て、男性中心に裸でふんどし姿に縄たすきをして納棺する」(山形県最上地方)、「遺族親族の集合写真の撮影がある」(北海道)といった話もある。
●理由が不明なものも
なぜ、こうも葬送儀礼にはローカルルールが多いのか。
国立歴史民俗博物館准教授で民俗学者の山田慎也さんは言う。
「現代の葬送儀礼は、室町時代後期から江戸時代初期にかけて確立され、その時の社会条件や宗教者等の介在で変遷してきたものです。火葬の浸透、告別式の導入による葬儀の近代化、戦後の新生活運動などいくつかの転換点はありますが、多様に展開し、その理由が類推できるものも、できないものもあります」(山田さん)
念仏講や御詠歌、数珠まわしは、宗派に関係なく、さまざまな地域に見られ、死者の功徳を積むために行われると考えられる。
今は香典返しになった配りものは、参列者に施しをして功徳を積むという側面が古くはあった。幕末・明治期の画家、河鍋暁斎は、葬儀時に焼き饅頭を600個も配ったといわれている。
長寿者が多くなかった時代は、大往生を遂げると、こんなならわしもあった。
「銚子の曾祖母が93歳で亡くなった時、紅白餅を配りました。子ども時代、大きな紅白餅をもらった覚えがあります」(山田さん)