影響を受けたのは子どもたちばかりではない。トリノ五輪を控えていた荒川静香(35)も、スランプから脱し切れずにいた自分を浅田が変えてくれたと話す。
「出口の見えないトンネルにいたとき、ただただスケートが好きという気持ちで戦う真央を見て、楽しんで正面から向き合うことの大切さを思い出した」
荒川は高得点を得られるがゆえに誰もが注力するジャンプではなく、イナバウアーを独自の魅力にすると、五輪そのものを楽しむ精神でトリノ五輪の女王に輝いた。
06年からはキム・ヨナとのライバル対決がクローズアップされたが、「ライバル」の概念を変えたのもまた、浅田だった。
「ヨナは、同じ身長で同じ年で、同じように上手な子。表現力もあって、連続ジャンプがすごくきれい。真央が違うことで頑張れるとしたら、トリプルアクセルかな。トリプルアクセルは自分自身の自信につながるもので、皆にアピールできるものだから」
当時16歳だった浅田の言葉だ。嫉妬はしない。勝ちたければ自分を成長させる。美しい戦い方が、そこにはあった。
浅田が最もドラスティックに変えたものが、女子選手とトリプルアクセルのあり方だろう。バンクーバー五輪ではトリプルアクセルを計3本成功させてなお、銀メダル。審判を務めた藤森美恵子は試合後の審判会議で、こう提案したという。
「女子にとってのトリプルアクセルは、伊藤みどりと浅田とわずかな選手だけが成功している大技。男子とは違う、高い得点を与えるべきだ」
まだ実現には至っていないが、国際スケート連盟では規定変更のたびに話題になっている。
引退会見で浅田が、
「私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいとずっとやってきた」
と名前を挙げた伊藤は言う。
「私の代名詞だったトリプルアクセルを、真央ちゃんが受け継いでくれたおかげで再びスポットライトが当たった。難しいけれど女性でも挑戦していいんだ、と後輩たちの意識を変えてくれたんです」