「積極的に避難しなかった人、あるいは避難の意思はあったができなかった人が亡くなったと考えられます」

 避難の意思はあったのに、できなかった人に何が起きたのか。気仙沼市議の今川悟さん(41)はこう話す。

「あの日は避難する車に加え、街に戻る車もあり、渋滞がさらにひどくなった。結果、逃げられなくなり、気仙沼の遺体の約6%は車内で見つかりました」

 気仙沼市街地に第1波が達したのは、地震から40~50分後。一度避難はしたが、津波がこないことを理由に片づけなどで家に戻った人も多かった。教訓としたいのは、幼稚園・保育所や学校の子どもの迎えだ。

 60代の女性は被災時、地元のスーパーで買い物をしていた。孫の迎えは女性の担当。急いで学校に向かうと、先生が避難場所に移ってから引き渡すと保護者に説明をしていた。なかには指示を聞かず、車で連れて帰る人もいた。後日、そのうちの1人が子どもと波にのまれたことを知った。

 被災後、学校に子どもを迎えにいった三陸新報社の三浦一樹さん(36)もこう振り返る。

「結果的に助かったが、先にたどり着いた知人が自分の息子を連れて帰り、戸惑った」

 対策はとられている。気仙沼市教育委員会指導主事の藤山篤さんはこう話す。

「震災後は予告なしの避難訓練を実施するほか、保護者も参加する『引き渡し訓練』もしています。津波警報が解除されるまでは学校に保護者は迎えに来ないよう『つなみてんでんこ』を徹底しています」

●事前に避難救助を約束

「つなみてんでんこ」とは「津波が来たら、取る物も取りあえず、肉親も構わずに、各自てんでばらばらに一人で高台に逃げろ」との意味だ。津波被害に苦しんできた三陸地方に伝わる教訓だ。14年度から学校で使用する防災学習シートでも、改めて意識付けをしている。

 気仙沼市で局地的な被害が出た場所の一つに介護老人保健施設「リバーサイド春圃」がある。2階に避難したお年寄りを津波が襲い、当時136人が施設にいたが、46人が亡くなった。職員だけでの避難は困難だった。こうした災害弱者をどう助けるかも、課題の一つだ。

 川口清美さん(49)は、市内のイオンで買い物中だった。地震後、頭に浮かんだのは、難病で自宅で寝たきりの息子(当時4)だ。周囲は停電している。息子の呼吸器が止まれば、息ができない。自宅に戻り、何とか救急車をつかまえ避難できたが、

「当時、旦那は職場。子どもを抱っこして、一人で呼吸器やたんを吸う吸引器などを持って避難するのは無理だった」

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