思わず声を荒らげただけでも虐待を疑われる昨今。親もびくびくだ。通告を機に、親が孤立しない仕組みを作ることが何よりも求められている。
「助けてっ! ママに殺される」
マンションのベランダで叫ぶ小学5年生の長女を部屋に引きずり入れ、急いで窓を閉めた。
「ご近所に聞かれたら、虐待って思われるやろ!」
思わず出た言葉が、2週間後に現実になった。昨夏の午後、関西に住むパート勤務の女性(43)宅の玄関に、首からネームカードを下げた女性が立っていた。
「児童相談所(児相)から来ました。お話、伺えますか?」
うろたえていると、間髪入れずに言われた。
「虐待通告があったので」
「誰からですか?」
「それは言えません。守秘義務がありますから」
(はぁ? そんなん告げ口やん)
怒りが顔に出たのが、かえって心証を悪くしたに違いない。職員は冷たい声で通告内容を並べた。母親の怒鳴り声と汚い言葉、子どもが助けを求める泣き声――。すべて本当のことだ。だが、虐待なんてしていない。
「お子さんの身体検査をさせてください」
完全に疑われていた。
「叩くことはありますが、ごはん食べさせないとか、生死にかかわるような暴力をふるうとか、世間で言われているような虐待とは違います」
話しているうちに涙が溢れた。
「悔しいやら、情けないやらで。私みたいなのにかかわる時間があったら、本当に事件になってるところに行けよって思った」
外に出ると全員、通告者に見えた。ごみ捨てにも行けない。楽しみにしていた地域の夏祭りも夏風邪だと嘘をつき欠席。静かにしなければと思うあまり、長女が暴れたら布団をかぶせた。馬乗りになった布団の下から「死ね! ボケ、くそババア」と叫ばれた。「ほんまに虐待みたいになってる。エスカレートしてるやん」と、怖くなった。軽いうつになり精神科へ。薬を飲んで何とか持ちこたえた。
その後2度目、3度目の通告を受け、職員が再びやってきた。娘の担任から「以前から家庭で暴れたりと大変な子」との情報を得ていたようだった。「お母さん、大変なんだね」と労(いたわ)られ、ようやく疑いが晴れたと思った。
「虐待ではないと通告者に伝えてほしい」と頼んだが、「虐待の有無など一切の情報はフィードバックしない」と言われ、愕然としたのだった。
※AERA 2015年2月2日号より抜粋