フリープログラムのラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」は冒頭のトリプルアクセルなど8つのジャンプをほぼノーミスで滑り切った (c)朝日新聞社 @@写禁
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 メダルよりも、挑戦し続ける苦しさと喜びを見せてくれた浅田真央。今後はどのような道を歩むのだろうか。

 2年前、浅田はスケートと生活のすべてを支えてくれた母・匡子さんを亡くし、昨年4月には今季限りで引退する意向を示していた。浅田をよく知る地元、名古屋市のスケート関係者には、「引退」に安堵する人もいる。

「小さなころから元日を除く364日は練習でした。他の選手は午前中は大学の授業を受けたり、友だちと遊んだりしているのに、彼女はスケートに集中。氷の上にいる時間の長さも、練習の濃さも比較にならない。努力でここまで這い上がってきた選手だからこそ、スケート以外の楽しみをもっと経験してもいいと思う。母を亡くして、一人の人間としてどう生きるかということを考えるようになったのかもしれません」

 浅田を知る人ほど、「十分頑張ったのだから、しっかり休んでほしい」という気持ちが強い。

 一般的に女性アスリートが将来について悩み始めるのは22歳、大学を卒業する年齢だと、シンクロ・デュエットのメダリストで多くの競技でトップアスリートを指導する、メンタルトレーナーの田中ウルヴェ京(みやこ)さんは指摘する。浅田もまさにその時期に当たる。昨年4月、引退を表明した記者会見では、「いい人に巡り合って家庭を築きたい」と結婚願望も口にしていた。田中さんによると、多くの女子アスリートが「引退したらお嫁さんになりたい」と話すという。

「30歳までに結婚、35歳までに出産、というようなソーシャルクロック(社会的な時計)をどう捉えるか。過去の結果からどこを選手としての山、谷と捉えるかによって違います。でも一般的には、進路を自分で決めなければいけない大学卒業を前に、友だちが就職して焦りだす子が多い。いつか引退するんだな、人生長いなって思った時、どこかで一度区切りをつけて振り返ろうかなと思う時期なのです」

AERA 2014年3月3日号より抜粋