東日本大震災から2年半以上が経った。多くのボランティアが被災地に入ったが、それを機に縁もゆかりもなかったその地に移住し、被災地の復興に尽力する人たちがいる。「ソーシャルターン」と呼ばれる。
ソーシャルターンの人数の正確なデータはないが、復興に尽くしたいと新たに移住してくる人は少なくない。とはいえ、被災地は仕事が限られ、所得も決して高いとは言えない。それでも移住者は皆、「来てよかった」と楽しそうに話す。移住を決意した源は何なのか──。
福島県南相馬市。市の中心にある「ふくしまインドアパーク南相馬」。ここは、東京に本部がある、子どもと子育てを支援するNPO「フローレンス」が運営する有料の屋内遊び場。その建物2階にある無料学習室「希望のゼミ」で中学生と高校生の勉強を見る水口隆さん(41)にとっても、被災地は“源”を見つけられた場所になった。
「自分がやりたい指導ができると感じたんです」
北海道出身で、大学卒業後は東京の地図製作の出版社に13年間勤務。会社の業績悪化で希望退職し、震災前は学習塾の非常勤講師をしていた。
震災が起きると「ここで何もしなかったら絶対に後悔する」と思い、南相馬に入った。 お年寄りたちに食べ物を届けるボランティアを行った。1年近く、週末に車で「被災地通い」を続けていた時、講師不足に悩む南相馬の学習塾から講師を頼まれた。多くの講師が市から避難する一方、避難先から帰ってくる子どもたちが増えていたのだ。放射能の不安が頭をよぎったが、12年4月に移住を決意。独身で身軽というのもよかった。
東京の塾と違い、ここは生徒数を増やすノルマもなく、一人ひとりの学力に応じたきめ細かい指導ができる。また、東京の生活に息苦しさを感じていたこともあった。さらに、他県の被災地に支援に行くのに便がいいことも移住の決め手となった。
「希望のゼミ」の生徒は、中学・高校生とあわせて約10人。他にも、水口さんは個別の家庭教師として6人の中高生を教える。
「子どもたちは被災地の未来を担っていく世代。その子どもたちの力を少しでも伸ばし、南相馬の将来を担う大人になってほしい」
※AERA 2013年10月21日号