2020年東京五輪がいよいよ近づいてきた。7月24日の開会式まで残り約5カ月。聖火リレーは約1カ月後に迫る。かつて五輪で金メダルを獲得したレジェンドに、五輪への思いと大舞台を目指す選手たちへのエールを聞いた。今回は1988年ソウル五輪競泳男子金メダルの鈴木大地スポーツ庁長官。
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「27回でいく」
1988年9月24日、ソウル五輪第8日。競泳男子100メートル背泳ぎの鈴木大地は予選のビデオを見て、鈴木陽二コーチにそう告げた。
水中を潜って進むバサロキックの回数を増やし、30メートルまで距離を延ばして浮上する作戦だ。当時、バサロの距離制限はない。レースでは一度も試したことのない、一世一代の大勝負だった。
鈴木は普段、キックを21回打って25メートル付近で浮き上がる。午前の予選もそうだった。しかし、隣で泳いだデビッド・バーコフ(米)は35メートル付近まで潜水し、54秒51の世界新記録を出した。鈴木は55秒90で全体3位。勝つには、ライバルを揺さぶるしかない。
「4年に1回ですしね。負けたら、スタートに失敗したら、とかいろんなことを考えました。(昭和)天皇陛下もご病状が悪い時期で、日本全体が暗い状態。我々も外国にいましたけど、1個も金メダルを取ってなかったこともあって、ドヨンと暗かった。そういう中で私の出番が来る。『やらなきゃ』みたいな気持ちもありました」
決勝。鈴木とバーコフが30メートル付近で浮上。ほぼ同時だった。そして、ライバルが体半分リードする。鈴木が追う。残り10メートル。200メートル金メダルのイゴール・ポリャンスキー(ソ連=当時)を含め、3人が横一線。制したのは鈴木だった。55秒05で、2位バーコフとは0秒13差。日本競泳界16年ぶり、ソウル五輪での日本勢初の金メダルに輝いた。
「実は、金メダルを取ってちょっと後悔したんです。自分がずっと4年間思い描いてきたレースがそのまま起こっちゃった。もっとぶっちぎりで確実に勝つレースを想像しておけばよかったな、と思いました(笑)」