「晴れてほしかったのに雨が降ったり、隣の鶏がうるさかったり(笑)、そこで切り取れるものを切り取ることに精いっぱいでした。でも、みんながフォローアップして、なんとか乗り越えようと、必死でコミュニケーションをとっている姿が、とても人間的で、健康的だな、と。予定通りにものを進めていくことが最良なのではなく、“今、ここ”で偶然に生まれていくものが一番貴重で、一番価値があることに、あらためて気づかされた。それは、映画でも舞台でもダンスでも変わらないですね」
映画「オルジャスの白い馬」の完成品を日本で鑑賞したとき森山さんは、「神話のようだ」と感じた。
「僕が演じたカイラートという役には、“どういう人なのか”という情報がビックリするほどないんです(笑)。おそらく、(主人公の少年)オルジャスの父親なんだろうと予想はつくけれど、どこからか現れて、去っていく。それだけの男。時代に関しても、1990年代の前半ぐらいの説明しかなくて。背景は、ただの壮大な自然でしかないんですが、時代性が全く関係なくなるせいか、それでかえって人間の普遍的なものだけが立ち上がってくる気がしました。どでかい自然の中に、何人かの人間が転がっていて、殺したり殺されたり。盗ったり盗り返したり、愛したり愛されたり。そんな出来事がポツポツと起こるだけ。ふと、どこかの国の神話を見ているような感覚に陥って。不思議なんだけれど、一方で、“こういうことってあるよな”と思わされたりもしました」
映画を撮るということは、本来は、非常に人工的な行為である。ありもしないものを作り上げ、それをあたかも本物であるように見せる。セットだけでなく、人間も、“それらしく”あることを要求される。でも、この映画に映し出されているものに、人工的な部分は皆無だ。ただその場所で必死に生きようとする人間がいて、厳しくて壮大な自然と、深い影を残す強い光、乾いた空気があるだけだ。