「カザフスタンで過ごした2週間は、出演者もスタッフもみんなで一緒に飯を食って、泊まる場所も一緒でした。朝がきたら起きて、撮影して、食事をして、夜になったら寝る。映画を撮っていることを除けば、ものすごく原始的な生活を送っていたんです(笑)。インディペンデントな作品だから当然と思われたらそれまでだけれど、そういう“暮らし”も共にできたことが、僕にとってはものすごく有意義なことでした。映画って、元々は物事を記録するために発達したものじゃないですか。そこにストーリーが加えられていって、今のようなエンターテインメントになったわけだけれど、この映画なんかは、ストーリー以上に、僕らが暮らした2週間のドキュメントと地続きにあって、そこが一番この映画の魅力になっている気がする」
冒頭、トマト畑で、トマトを顔中につけた子が登場する。それは、エルラン監督の娘なのだそうだ。
「撮影では、ものすごく移動するから、子役を連れ回すことができなくて、エルランは、子供と嫁さんを連れて撮影していた。そういう生々しさが、今の最先端技術を駆使した映画の真逆にあるようで、生活共々、まるで映画作りの原点に立ち返れたような、そんな気持ちにもなりました」
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」や「モテキ」、数々の賞を受賞した「苦役列車」など、いくつもの代表作を持つトップ俳優である。とりわけ、彼の舞台を見たことがある人なら、その身体能力の高さ、動きの美しさ、自在に伸縮するエネルギーの豊かさに、圧倒されたことがあるだろう。彼が駆使するのは、肉体という言語。だからこそ、“肉体を使ったクリエイション”ができる場所があれば、どこにでも出かけていく。フットワークの軽さは、当代随一だ。この3月は、ダンスの公演が二つ控えているが、どちらもフランス・パリでの上演となる。
彼のホームページにも、「演劇、ダンスなどのカテゴライズにとらわれないオンボーダー、ジャンルレスな表現を日々模索中」とあり、肉体表現を模索し続ける生粋のアーティストのようにも見えるが、商業的な作品に出ることを拒絶しているわけでもない。「こうでなくては」と、そのあり方を規定するのではなく、もっと自由なのだ。