“クリエイション第一主義”ともいうべき境地に至ったのは、7年前、文化庁文化交流使として、1年間イスラエルに滞在し、インバル・ピント&アブシャロム・ポラックダンスカンパニーを拠点に、ヨーロッパなどで活動したことが大きかった。

「『100万回生きたねこ』という舞台を通じて、インバルとアブシャロムに出会ったとき、5歳からやっていたダンスを、もう一回しっかりやりたいという気持ちが湧き上がってきた。どうしても、20代は芝居のほうに重きを置いていたので、もう一回ダンスに集中したかったんです。2人のクリエイションの仕方も興味深かったです。インバルは振付師でありながら舞台美術や衣装も担当する。アブシャロムは、ドラマツルギーに精通していて、作品の音楽デザインを手がける。インバルが右脳派とすれば、アブシャロムは左脳派。その2人のバランスも面白いなと思っていました。自分自身の肉体を見つめ直しながら、2人でどういうふうにクリエイションをするのか、また2人以外にも、僕の知らないところで人々はどんなふうにものを作るのか。その三つのことを追求したかった」

 14年に帰国し、最初の1~2年は、ダンサーか役者かパフォーマーか、どういう立ち位置でいるのがいいんだろうかと模索していたが、やがて、「客寄せパンダでもいい!」と開き直った。

「ダンスの世界の人口は、観客も、やっている人間もまだまだ少ない。だったら、俺が踊ることで、お客さんが入るならそれでいいや、と(笑)。僕は素晴らしいダンサーとクリエイションができるし、一人でも多くの人にダンスを見てもらうきっかけにもなる、これは一石二鳥だなって(笑)。

 ここ1~2年は、さらに肩の力が抜けて、何かを作ろうと思ったときは、肩書とか、テーマとか、メディアとか、そんなものがどんどんどうでもよくなってる(笑)。だから、週によっては、今日はナレーション、明日は芝居、その次の日はダンスの打ち合わせ、とか。スケジュールがすごくガチャガチャしてますよ(笑)。

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