北京大会を終えて日本代表ヘッドコーチになり、日本代表のレベルアップへと視野を広げていきます。12年ロンドン大会に向けては、ほかの所属の選手たちにもメダルを取らせたい、という思いが強かった。金メダルこそなかったものの銀3個、銅8個、日本競泳で戦後最多の計11個のメダルを取ることができました。
チームの結束力が個人の力を引き出した結果です。「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と男子400メートルメドレーリレーで銀メダルを取ったこともチーム力の表れでしょう。私が東京スイミングセンターで教えてきた寺川、バタフライの加藤ゆか、自由形の上田春佳も力を伸ばして、女子400メートルメドレーリレーで銅メダルを取りました。
リオデジャネイロ大会までの次の4年間は東洋大学にコーチングの場を移して、北京の前までと同じように、自分の教える選手を伸ばすことで代表チーム全体を引っ張っていく、という意識でやってきました。
リオ五輪では、教えてきた選手たちは、萩野が400メートルと200メートルの個人メドレーで金と銀のメダル、女子200メートルバタフライで星が2大会連続の銅メダルを獲得し、小堀勇気も男子800メートルリレーの銅メダルに貢献しました。
4年ごとの大会を振り返ると、指導者としてステップを一段ずつ上がってきたように思います。地元の東京五輪は、ロンドン大会のように多くの選手にメダルを取ってほしい。私が直接教えている選手以外にも、19年世界選手権の男子200メートル、400メートル個人メドレーで優勝して東京五輪代表に内定した瀬戸大也、200メートル平泳ぎで17年に世界記録を出した渡辺一平ら金を狙える選手がいます。
ヘッドコーチとしては全体の強化を考えて、長期的な計画、組織作りなど競泳全体を強くするためのマネジメント力が必要です。もちろんここに一番力を注いでいるわけですが、自分のところの選手強化もおろそかにできません。両立は本当に大変で、頭の切り替えをよほど早くしないといけない。競泳委員会や東洋大のコーチを始め、多くの人の協力も必要で、大きなチャレンジの年になります。