仙台市で育ち、2歳で卓球を始めた。両親は中国の元選手で、母は世界選手権元代表。父は元世界女王、小山ちれさんの練習相手を務めたこともある。張本がラケットを握るのはごく自然なことだった。
16年に南アフリカで開かれた世界ジュニア選手権では、団体とシングルスの2冠を達成。シングルスは大会史上最年少優勝という快挙だった。
17年にドイツで開催された世界選手権には、日本卓球界で史上最年少となる13歳で代表に選出された。同じ年の8月、各国・地域の選手たちが世界を転戦する「ワールドツアー」のチェコ・オープンを制し、ここでもツアー史上最年少優勝という記録を作った。
快進撃は止まらない。18年1月の全日本選手権は14歳で優勝。16年リオデジャネイロ五輪の男子シングルスで銅メダルを獲得した水谷隼(30)が持っていた17歳の最年少記録を大幅に塗り替えた。
同年12月、ワールドツアーの上位選手のみが出場できる「グランドファイナル」でも、中国勢を含む世界のトップ選手をねじ伏せ、15歳という史上最年少で頂点に立った。
一気に東京五輪の金メダル候補として名乗りを上げた張本。ただ、勝負手や得意な戦法は徹底的に研究され、対策されるのが卓球の世界だ。
今年1月の全日本選手権では準決勝で敗れて2連覇を逃し、日本男子40年ぶりのメダル獲得という期待を背負った4月の世界選手権(ハンガリー)では、4回戦で世界ランク157位(当時)の韓国選手に屈した。相手はサーブを工夫し、徹底して張本のバックハンドレシーブ「チキータ」のコースを限定するような戦い方を仕掛けてきた。
バックハンドだけでいつまでも勝ち続けられるほど、世界は甘くなかった。
「もう少し引き出しを増やしていかないと。(バックが通用しない時に)勇気を持って戦術を変更できない」
日本男子を率いる倉嶋洋介監督は、張本の課題をそう指摘した。
「卓球は将棋みたいなもの。駆け引きが大事」