歴史上の人物の「顔」が変わった例もある。
室町幕府を開いた足利尊氏のイメージとして、「騎馬武者像」を思い浮かべる人も多いだろう。しかし近年の研究で、別人の可能性が高いとみられるようになっている。
騎馬武者像の人物の上に尊氏の子義詮(よしあきら)の花押があり、人物が持っている太刀の目抜きや馬具の革ひもに輪違い紋があり、別の人物としたほうが自然だと受け止められるようになったからだ。尊氏の側近の高師直(こうのもろなお)やその子師詮(もろあきら)の可能性が指摘されている。
騎馬武者像に代わり、別の人物像が足利尊氏ではないかとみられている。その一つが左の絵(個人所蔵、栃木県立博物館提供)だ。尊氏を示す「長寿寺殿」という言葉があり、尊氏の業績として知られる国内の66州に寺や塔を建立したことが書かれていることなどが理由だ。
最近の教科書は、尊氏の名前そのものも「高氏」と「尊氏」を書き分けたり、併記したりするようになった。尊氏は当初、北条高時の「高」の字をもらって「高氏」と称していた。鎌倉幕府を倒した功績が認められ、倒幕後には後醍醐天皇の諱(いみな)「尊治」の一字を拝領し、「尊氏」に改めた経緯がある。高氏と尊氏を書き分けるのは、こうした歴史的な過程がわかるようにするためだ。
先に登場した聖徳太子や源頼朝の顔もみなさん思い浮かぶだろうが、教科書や資料集では断定はしなくなっている。こうした人物像は伝聖徳太子像、伝源頼朝像などと、「伝」をつけて表記するようになった。源頼朝のイメージのもとになっている国宝「伝源頼朝像」のモデルは、足利尊氏の弟・直義(ただよし)ではないかという説もある。
「最近20年くらいの間に美術史の研究が進歩しました。人物像に対する見方が変わる例が相次いでいます」(同)
江戸時代以降でも変わった内容がある。
例えば、従来の教科書では、幕府の直轄領のことを「天領」とした。最近は「幕府領」や「幕領」と書かれている。天領だと天皇の領地になってしまうからだという。
幕府が隠れキリシタンを見つけるために行っていた「踏み絵」は「絵踏(えぶみ)」という表現が一般的になった。踏み絵は行為を指す言葉ではなく、絵踏をするときに使うキリストやマリア、十字架などが描かれたものを指すからだ。従来は踏み絵も絵踏も、混同して使われることが多かったという。
身分の序列を示す「士農工商」も、当時の実態を表すものではないとしてあまり使われなくなった。士(武士)を除く、農、工、商の身分に上下関係はなく、その境目はあいまいだったという。