「おかげさんで、ありがたいことです」
にこやかに言葉をかわすが、わたしは相手の名前が分からない。年をとると、むかしのことは憶えていて最近のことを忘れるというが、わたしは均等に忘れる。そこは大いに自信がある。
しばらく談笑したあと、次の編集者のそばに行き、
「あのひと、誰やったかな」と訊く。
「C社のDさんです」
「ああ、そうでしたね」
そんなふうに順繰りに名前を訊いていって、会がお開きになるころ、だいたいの顔と名前が一致したが、これもまた二、三日で忘却の彼方にいってしまうのだろう──。
その夜はいつものごとく新宿の雀荘に行き、編集者と麻雀をした。三人打ちのサンマーだが、四人が参加して、北家(ペーチャ)のひとりが交代で休む(東京は四人打ちが主流だが、関西をふくむ西日本はサンマーが主流で、萬子(ワンズ)牌の二から八を抜いているから、清一色(チンイーソ)や混一色(ホンイーソ)の染め役が多く、和了(アガリ)の点数も大きくなって勝負が早い)。
序盤、わたしは順調に和了を重ねてご機嫌だったが、荘家(オヤ)のリーチに★(注:麻雀パイの南)を強打し、これが七対子(チートイツ)ドラ4の一発放銃(ホーチャン)で、あとはもうがたがたになってしまった。そうして朝の九時に解散。いつものごとく新幹線に乗るなり、いぎたなく眠りこけて、起きたときは新大阪駅だった。
よめはんにはいくら負けたか、報告したことがない。
※週刊朝日 2019年10月18日号