

あのとき、別の選択をしていたら……。著名人が人生の岐路を振り返る「もう一つの自分史」。今回は逢坂剛さんの登場です。広告会社に勤務しながら、人気作家として花開いた。その歩みは挿絵画家の父と、兄2人の影響が大きいそうです。父亡き後、1歳2カ月のときに亡くした母と70年以上を経てつながった、驚くべき「絆」を支えに、いまも物語を描いています。
* * *
親父は片目が悪かったんですが、それでも画家になった。小学校を出て芝居小屋の看板を描く親方のところに弟子入りしたのですが、よほど絵がうまかったんでしょうね、親方が「ちゃんとした先生のところで勉強しろ」と言ってくれた。それで好きだった挿絵画家の小田富弥に弟子入りしたんです。新聞連載に挿絵を描いてデビューしたのが18歳だったそうです。
ただ、親父はあんまり自分のことを話さなかった。2003年に集英社新書から『挿絵画家・中一弥』という聞き書きの本が出て、読んだら知らないことがたくさん出ていた。初めておふくろとのなれそめを知り、「へえ!」と驚いたりしてね。
――1943年東京生まれ。長兄とは8歳、次兄とは4歳違い。母は1歳2カ月のときに肺病で亡くなった。
母親が亡くなったのは45年の1月末です。もしその時点で戦争が終わっていたら、ペニシリンが手に入っていて、死なずに済んだだろうに、と思うんです。
1歳2カ月のときだから、母親の記憶は全然なくて、「寂しい」と思ったこともないんです。だから、人から「かわいそうに」って言われるのがイヤでしたね。
――近年、母とのつながりを再確認しているという。きっかけは父の死だった。
おふくろもね、画家だったんです。親父とは兄弟子、妹弟子の関係だった。親父が入門して2年後に入ってきたらしい。当時、15歳くらいだったようです。そのうちくっついちゃって、おふくろは引退しちゃったんです。親父の才能にかけて。
その親父が2015年に亡くなったあと、遺品の中からおふくろの絵が30枚近く出てきましてね。親父が取っておいたんです。見たらけっこう、うまいんですよ。師匠の小田富弥の画風にそっくりでね、実に動きのあるいい画なんです。やめなかったほうがよかったんじゃないかなあ。写真も出てきたんですよ。わりと、いまふうの顔立ちでしたね。