2年目でオール讀物推理小説新人賞を獲って、作家の末席に名を連ねさせてもらいました。当時の編集者から「これで作家になったなんて思って、会社なんか辞めないでください」って言われました。まあ、はなから辞める気なんかなかったけど。
――87年『カディスの赤い星』は直木賞に輝いた。その後も10年間、博報堂社員との二足のわらじを履き続ける。
博報堂は自由にさせてくれて、居心地がよかったんです。女房に「辞めないで」なんて言われたわけでもありませんよ。普段は僕のほうがハイハイと言うことを聞くほうなんだけど、仕事に関しては彼女は何も言わないんです。糟糠(そうこう)の妻ですねえ。
出会いは見合いです。僕が32歳で女房は26歳。本格的に小説は書き始めていなかったんだけど、女房が言うには「婚約前に『直木賞を獲ります』って言ってたわよ」。こっちは覚えてないんだけどね。
――会社を辞めてからもサラリーマン時代のリズムを守り、ラッシュ時に満員電車に揺られ、自宅から神保町の事務所に通っている。
いまも毎回ギリギリまで頭をひねりますよ。最初から最後まで考えて書き出すなんて、いまはめったにない。なんとか書き出して、いつも収束するために、つじつまを合わせるんです。
いま某新聞で江戸から長崎までの道中ものを連載してるんだけど、ペースの配分を間違えてね、連載の4分の3くらいまできてるのに、まだ中山道にいる(笑)。もうこりゃ途中で新幹線にでも乗せようかなと。
細部に宿るものを積み重ねてこそ作品になるわけですから、易々(やすやす)と書くことなんて、ありえない。
父の描いた挿絵も同じです。小説の時代背景や当時の衣装などを知らなきゃダメ。小さい頃は、資料を買う親父に連れられ、神保町の古書街に来たものです。ただ一点の絵を描くために、ものすごく高い本を買ったりする。私も小説を書くときに同じことをやってるなあ、と感じます。
やっぱり作家は書くことが好きじゃないと続けられません。絵に生きた父を考えると、思い至りますね。私たちはたぶん似ているんだなあ、と。
(聞き手/中村千晶)
※週刊朝日 2019年9月6日号