団塊の世代の一人として団塊の世代に伝えたい。「われわれ、一体、どこで死を迎えようか」
何しろ何しろ団塊世代の人数は半端じゃありません。下の世話を若い介護士1人で2、3人を受け持たないといけない状況。そりゃあメイワクでしょう。
「自分のことは自分で片を付けよ」
などと言われるでしょう。こちらの姿勢、工夫、熱意をみせねばなりません。いや依存することの大切さも知ってはいますが。
「団塊コールセンター」が必要なのかも、と思いつきました。死についての相談窓口。“団塊マネジャー”がまるでケアマネジャーやケースワーカーのような働きを自主的にします。何しろ若い世代に我々の老後の面倒を押し付けるわけにはいきませんから。
どこで死すか。(1)病院(ホスピス病棟を含む)(2)診療所(3)介護医療院・介護老人保健施設(4)助産所(5)老人ホーム(6)自宅(7)その他、と死亡診断書にあります。
(6)の自宅は工夫次第では可能になります。意外といいです。一人で死を迎える「孤高死」も可能です。家族関係が良い人はチャレンジしてみてほしいです。団塊世代が決起すれば、在宅死が、昔のように再び普遍性を持ちえます。
(7)その他もオススメ。教師が教室で、役者が舞台で、ボランティアが難民支援の地でお終いを迎える。なるべく自分が管理されない空間で他人のため、自分の面白さのために生き、死を迎えます。
でも、死は思うようにはなりません。
病院の集中治療室もありえます。ホスピス病棟も一般病棟もありえます。今や多くの老人施設が建設されてはいますが、「団塊の団塊による団塊のための老人長屋」をつくり、「ゴメンね、少しは努力しているの」くらいの姿勢を見せなくちゃいけないのではないか、と思います。
全てを自治体や国家に丸投げすることに慣れた日本で、団塊流のよい死を実現するための空間づくりには、時間と金がかかり理想通りにはいかないのは合点承知(団塊は理想が好きな世代でした。現実を見よ!と自戒も少し)。団塊世代の死の形、どうつくっていきましょう、誰が誰と。
で、ぼくはぼくなりに死を迎えることでしょう。最後までワカラナイなりに。
※週刊朝日 2019年8月30日号
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