

あのとき、別の選択をしていたら……。著名人が人生の岐路を振り返る「もう一つの自分史」。今回は、「フレンチの鉄人」として知られる坂井宏行さん。腕に職を持て、という母の教えを胸に刻み、料理の世界に飛び込みました。振り返れば目が潤む、大切な出会いがあります。いまや大勢の外国人が「和食」を学びに来るようになった。現代への変遷を見つめつつ、半生を語ります。
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1942年、父の仕事の関係で渡った朝鮮半島で生まれました。3歳で父を戦争で亡くし、姉と1歳の弟と4人で鹿児島のおふくろの実家に引き揚げてきたんです。父の顔も当時のことも覚えていません。
貧乏でしたよ。おふくろは昼は日雇い、夜には着物を仕立てる和裁の仕事をして育ててくれました。いつも「貧乏でも、気持ちまで貧乏になる必要はないよ」と話していた。そして口ぐせのように「腕に職を持て」と言われました。腕に職を持てばどんな世界でも生きていけるよ、と。
振り返って、それはほんとうのことでした。
子どものころは日本全体が貧乏な時代でした。白いご飯を食べることはほとんどなく、粟やひえを混ぜ、それでも足りないとサツマイモをいっぱい入れた。学校の弁当は焼き芋。だるまストーブに置き、あったかいところを食べる。あのころ、サツマイモは一生分食っちゃったから、いまは苦手なんだよね(笑)。
学校帰りによその畑でナスやキュウリを食べたり、サトウキビ畑に潜り込んだり。田舎で自然が豊かだったから、そういうこともできたんでしょう。料理人になっても、もぎたてトマトの青臭さ、パキッと折ったキュウリのみずみずしさを大事にしています。子ども時代の、ひもじさゆえの経験が根っこにある。
――中学生になると、多忙な母や高校生の姉に代わり、台所に立つようになる。近くの川で鮎やカニを獲り、煮たり焼いたり。その延長で、卒業後は料理の道へ進むことを決めた。
「高校だけは行っとけ」。おふくろはそう言ってくれたけど、苦しいのを見ていましたからね。やっぱり長男だし、子ども心に「おふくろを助けなきゃ」という思いがあったんです。