でも、そんな「びっくりするような相手」の中に自分と同じものが見つかることがあるんです。
年齢や性別、スタイルが違っても、「あ、僕にも同じものがあるなあ」ってね。相手の中に自分を映す鏡があるんです。そこには、その歳になるまで知らなかった自分自身が映っている。人間は多面性のあるものだと思うけど、ほとんどの人は自分のほんの一部しか知らずに生きているんですね。
いい役者っていうのは、歳でもキャリアでもない。相手の中に自分を映し出す鏡を見つけるほど真剣に向き合ってはじめて、いい芝居ができるんだろうと思いますね。
この仕事を辞めようと思ったことは、それは何度もあります。自分の限界は芝居をしてればわかりますしね。この人にはかなわない、という存在に出会ったときは特にそう。ああ、自分は三流だ、ってつくづく思うんですよ。
一流の人というのは、まず他人がそう認める人ですよね。それには努力だけじゃダメ。そこに天性の感受性や想像力がなくちゃ。舞台っていうのは、1声、2目、3姿。そこに努力と常に新鮮な感性が必要です。だから一流の人っていうのは、選ばれた人なんです。
その点、僕は三流ですよ。大した努力もしていない。天賦の才があるわけでもない。それでも、やりたくてこの仕事をやってるからには、人の役に立ちたい、という自負はありますね。
ときどき、思い出すことがあるんです。大学生のころ、四国の石鎚山という大きな山に友人と登ったんです。山頂付近で、飛行機の爆音がした。
空を見上げても、何も飛んでない。後から登ってきた友人に「飛行機の音がしたけど、いないね」と声をかけたら、なんと飛行機は僕らよりも下を飛んでたんですよ。これは意外でした。
飛行機の音=上を見上げる。僕らはそんな、決まりきった芝居をしてやしないか。飛行機だって下を飛ぶことはあるんだとね。
今の時代、僕らの若いころよりはるかに世の中が複雑です。伝統的な劇団だけでなく、小劇場が次々と台頭する。今テレビで活躍してる役者さんたちは、そういうところの出身者が多いでしょ?
彼らが必死に工夫した舞台は、そりゃ面白いですよ。でも、日本の演劇界はあらゆるものがまちまちなんです。欧米のアクターズスタジオのような、基礎となるメソッドが確立していない。だから、役者の共通言語がない。結果、演じることの意味を見失い、自分に酔ってしまって、役そのものを見失っている役者も多いんです。
来年以降も、次々と演出作品を予定していますが、力の続く限り、そういう新たな課題にも取り組んでいきたいです。さあ、それまで元気でいられるかどうか!
(聞き手/浅野裕見子)
※週刊朝日 2019年8月2日号