あのとき、別の選択をしていたら……。著名人が人生の岐路を振り返る「もう一つの自分史」。今回は、俳優として舞台にテレビに映画にと活躍を続けてきた、北村総一朗さん。数々の作品に参加してきた名バイプレーヤーが、次に情熱を傾けているのが舞台の演出。「演じること」とは、そして「人生」とは?
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昭和10年生まれですから、今年の秋で84歳になります。もうこの歳(とし)になると、何が人生の岐路だったかなんて、あんまり考えないものですね。
――物心ついたときは、日本は戦時下真っただ中。軍国少年の夢は立派な軍人になることだったという。
私は高知県生まれで、父親は自動車関係の仕事をしていました。戦前は中国でビジネスをしていたんですが、いち早く状況がよくないと察したんでしょうか、開戦の1年前に帰国した。先見の明があったというのか、それだけは「親父は偉かったなあ」と今でも思ってます。
その後、高知の市街が空襲に遭って焦土と化し、友達も失いました。今は戦争の記憶もどんどん風化していますよね。経験者の習い性かもしれませんが、戦争の悲惨さ、罪深さを伝える作品を、舞台を通して作っていきたいですね。
そもそもなぜ芝居を始めたか、というと、高校時代にさかのぼります。高知で暮らしていた僕は、夏休みに友達と東京へ遊びに来ていた。そのとき、たまたま観(み)たのが劇団民藝の「セールスマンの死」という舞台。これが実に面白くてね。
それまで僕にとっての芝居は、勉強のために観ておかねば、という感覚だった。それが「芝居というのはこんなにも面白くて、人の心を動かすものなのか」と。やってみたい!と思うようになって、この道へ入ったんです。
高校卒業後、曲折がありましたが、高知大学の農学部に入りました。農学部を選んだのは就職率がよかったから。役者として大成するかどうかもわからないし、いざというときのことも考えたんでしょうね。