もし、あのとき、別の選択をしていたなら。著名人が岐路に立ち返る「もう一つの自分史」。今回は、粋でいなせな人情家。強面だけど気風が良くて、ユーモラス。そんな印象が次々と浮かぶ俳優・石倉三郎さん。その人生は紆余曲折、多くの挫折も経験したといいます。そのいっぽうで高倉健さんとの出会いをはじめ、強大な「運」にも恵まれてきました。
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――終戦の翌年、香川県・小豆島に生まれた。一番強烈な体験は、子ども時代の貧乏だという。
親父は料理人で、もともとは大阪で商売やっていましてね。空襲で焼け出されて、小豆島の親戚の家に間借りをさせてもらった。そこで私が生まれたんです。土蔵で生まれたらしいです。4人兄姉の一番下。
まあ、とにかく貧乏でしたよ。学校に持っていく給食費がないなんて毎月のことでしたからね。「今月の給食費、三郎は払っていません」なんて、みんなの前で担任の先生に言われて、どれだけ恥ずかしかったか。金がないっていうのは自信がないということでね。屈折した暗~い少年になりましたよ。
いじめられたこと? そんなもんないですよ。やられたら絶対にやり返すし、しかも過剰にやっちゃうほうだから。えこひいきばかりする教師ばっかりで学校もつまらなかったし、勉強も嫌いでね。
中2で大阪に移り住むんですが、相変わらずの貧乏暮らし。当時テレビで「事件記者」をやっていて「新聞記者になりてぇなあ」と思ったこともあったけど、「いや大学行かねえとできねえだろ、だめだ、だめだ」ってすぐ諦めちゃう。マイナス思考のかたまりで、将来に夢なんて持てなかった。中学を出てすぐに次兄の勤めていた会社で働きました。
でも悶々とするわけです。サラリーマンしてたって学歴はないし、出世の見込みもない。「夜間高校の卒業証書を手にしたら少しは人生違うんじゃないか」と考えて入学試験に受かったんだけど、おふくろに「入学金が払えない」って言われて。