――劇団に所属し、舞台に立ったが鳴かず飛ばず。「もう役者は辞めようか」と思ったが、やがて「コント」という新しい世界に出会う。レオナルドさんと、コンビ「ラッキーパンチ」を結成した。しかし、このあと本気で俳優を辞める決意をすることになる。

 熊が結核でしょっちゅう倒れるんですよ、そのたびに飯が食えなくなる。もう疲れちゃいましてねえ。熊に「あんた、このままだと死んじゃうぜ? もうやめなよ。オレもやめるわ」と言ったんです。

 ちょうどバイト時代の先輩がトマトの水耕栽培をする会社を作るから「一緒にやらないか」と誘われた。渡りに船で引き受けました。畑は千葉にあって、まずは水を通すパイプを埋めるのに朝から晩まで土掘り。一日中やって、宿舎に帰ってテレビをつけたら、熊が「コント・レオナルド」というコンビ名で出てるんですよ。「はあぁ、この人、本当にこの世界が好きなんだなあ。がんばれよ」と思っていたら、熊から電話がかかってきた。「相棒が逃げた。やってくんねえか」って。

 一回だけ付き合うか、とライブに参加したんです。折からの漫才ブームで、ビートたけしにも「サブちゃん、帰ってこいよ」って言われちゃいましてね。散々悩んで千葉に帰ったら、先輩が「芸能界に戻りたいんだろう? オレも疲れたし、もうやめる」って言ってくれたんです。

 あそこが、まさにオレの分岐点でしたねえ。あんなに悩んだことはなかったし、先輩の言葉が有り難かった。先輩はそのあと尾上菊五郎さんのマネージャーになったんです。今度の舞台の稽古のときに再会しましてね。縁って不思議ですよねえ。

――1981年に結成した「コント・レオナルド」は一世を風靡。85年の解散後も俳優として身を立てられるようになっていた。ケンカの武勇伝は数多いが、根はまじめですよ、と笑う。

 中学時代、教師に「見てござる」って言葉を教わってね。「どんなにバカでも、お前みたいなのでも、誰かが“見てござる”。だからがんばれよ」って。いい言葉だなと思いましたね。それもあってどんなときも一生懸命、やってきた。手なんか抜けないしね。

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