雅子さまの病名が発表された頃から、メンタルの不調で職場を休む人が増えてきたと感じている人は多いはずだ。それを精神科医の斎藤環さんは、「生存のうつ」「実存のうつ」という言葉で解説している。前者が従来型、後者が新型のうつで、60年代生まれの人の職場のメンタルヘルス問題はほとんどが後者だという。

 従来型はまじめな人が生き延びようと、頑張りすぎてつぶれる「生存のうつ」。新型は生きていけるのが当たり前、むしろ飽食の世の中で、自分が生きる意味を見失ったときに苦しみが始まる「実存のうつ」。

 斎藤さんは雅子さまも「新型のうつ」に近い状態だと判断し、「皇室のなかで生きる意味を見失ってしまったのではないか」ととらえていた。

「皇室」を「職場」に置き換えれば、生きる意味を見失うという現実は、他人事とは思えない。だが、こと雅子さまに関してはそのような共感はあまり広まらず、「なまけている」といった批判が絶えなかった。

 美智子さまが、あまりにも完璧だったことが一番大きいと思う。

 皇太子妃として求められることを、百点満点以上の出来栄えでこなしてきた美智子さま。だから皇太子妃になる人は、そのようにできて当然。美智子さまという人を見ているうちに、国民も宮内庁関係者も、みんながそう思ってしまった。

『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)を上梓した縁で最近、斎藤環さんと対談をした。印象的だったのが、美智子さまの疎開体験についての解説だった。

 美智子さまは鵠沼海岸、次いで館林と疎開し、終戦は軽井沢で迎えた。原宿駅一帯を焼け野原にした45年5月の大空襲で、叔父を亡くしている。

 斎藤さんは、「戦争を知らない世代には生存の危機はリアルでない。だから実存がなければ生きられない。その点、疎開体験とは生存の危機だから、それを経験したことが『覚悟』につながったのではないか」と語っていた。

 雅子さまと美智子さまの皇室に入って以降の差が、「実存」と「生存」の違いとはっきりわかった。

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