

皇后雅子さまがお生まれになったのは、前回の東京五輪開催の1年前。上皇后美智子さまは、その29年前にお生まれになっている。29年の間に、日本は大きく変わった。「世代」というものからお二人、そして皇室についてコラムニストの矢部万紀子氏が考える。
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皇后雅子さまが、17年ぶりに「青少年読書感想文全国コンクール表彰式」に出席されたのは、2月8日のことだった。
茜色のスーツに同系色の帽子。天皇陛下と並んで、前、右、左とお辞儀をされた。着席の直前、陛下は雅子さまをご覧になり、「座りましょう」と言うかのように目を合わせ、それからお二人は腰を下ろした。
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします」
昭和に生まれた日本人なら誰もが知っている、あまりにも有名な陛下のプロポーズの言葉。あの日から陛下は、ずっと変わらぬ愛情で雅子さまに接している。そのことがヒシヒシと伝わってきた。
雅子さまはお代替わりが決まって以来、初めての公務、○○年ぶりという公務を次々にこなされてきた。
昨年5月13日には、初めて皇居の紅葉山御養蚕所へ行かれた。陛下と愛子さまもご一緒だった。養蚕は昭憲皇太后以来、代々皇后が受け継いでいる仕事で、雅子さまは上皇さま立ち会いのもと、上皇后美智子さまから作業の説明を受けた。
その3日後には、15年ぶりに日本赤十字社の全国大会へ。11月には平成最後となる園遊会に着物姿で出席された。最後までのご出席は、やはり15年ぶりだった。年が明けて1月1日の「新年祝賀の儀」には、16年ぶりに出席された。
雅子さまのこの歩みを精神科医の香山リカさんは著書『皇室女子』(秀和システム刊)の中で、「自ら作った工程表に基づいて、日々の努力を重ねて」いると表現した。その上で、「『努力』というのは、雅子さまを理解する上でもっとも大切な言葉のひとつ」と書いている。
香山さんに会いにいくと、「努力せずにはいられない世代」の話になった。それはピンポイントで1960年から70年生まれの女性で、常に自分を高めたいという思いの強い「自己実現派」であるという。