今は、子どもは自分よりも何よりも大切な存在だと思えます。でも、育児が本当にきつかった頃は、自分のしたいことができなさすぎるストレスと、睡眠不足と疲れで頭が麻痺してきて、ただただ無心でやるべきことをこなしていた気がします。1人を育てるだけでもこんなに精神的に追い込まれた時期があるため、三つ子を生んで逮捕された母親の事件が、全くひとごとに思えないのです。
■「苦労することが美徳」とされる日本
よく、「苦労しないと愛情が生まれない」などと言ってくる人がいますが、それだけは違うと断言できます。大変すぎると、愛情も何も見えなくなります。日本人はとかく「苦労することが美徳」だと押し付けてくることがありますが、少なくとも育児では、それが当てはまらないと思っています。手を抜いた育児で立派に成長した子もいれば、構われすぎて道をそれてしまう子もいます。
同じ親の下で同じように育てても、生まれもった性格により、きょうだいで生き方は変わってきます。「育児に正解はない」というのはそういうことでしょう。だから、追い込まれていると感じたら、周りなんて気にしなくてもいいから手を抜くべきです。他人なんて、自分が思うほど、自分のことを気にしていません。
日本では、親が育児にかかりきりになることで母親と父親との関係が変わった、という話をよく聞きます。対して海外には、親は赤ちゃんの育児に追われるのではなく、パートナー同士の関係を仲のよいものに保っていくことのほうが重要、という国もあります。そこでは、託児もシッターも日本より手軽に利用できる制度があり、周りの人も育児に寛容で積極的に手伝ってくれる環境がある、とのこと。両親のみで出かけることは仲がいい証拠で、そのほうが子どもも喜ぶ、という考え方だそうです。
そうした国で育児をした人と話すと、「子育てを特に大変だと思ったことがない」と言っており、こちらがビックリしました。当然ですが、母乳がいいとか、ミルクがいいとかいう議論もありません。日本だと、赤ちゃんを預けて出かけるだけで、すぐに「愛がない」だの「赤ちゃんが可哀想」だの言ってくる人がいます。そうした声が、母親のほんの少しの息抜きさえ、罪悪感をもつように追い込むのです。でも、それは単にその人の価値観であり、外国にいけばそれが異質になるのだ、ということを忘れないでください。
育児に関しては苦労が減れば減るほど、自分たちや、自分の子どものために「なにをすべきか?」と考えられる余裕が出てくるのではないでしょうか。少なくとも私は、育児に追われている状態のときに、子どもや自分やパートナーのことを考えるための、頭のキャパシティーなんてつくれませんでした。
日本は、少子化問題をなくそうとするのであれば、外国人に「日本で子育てすると、大変と感じない!」と言われるくらい、頼もしい環境とサポートを考えてくれたらと思います。今回の、「子どもが好きなお母さんが、三つ子のうちの1人を殺した」事件と、それによる大勢の母親の署名活動が、日本のシビアな育児事情に一石を投じるきっかけとなってくれれば、と心から願わずにはいられません。