ーー何度か別れ話が出たそうですが、内田さんが島田さんがいる伊豆の別荘にまで、刃物を持って訪ねてきたことがあるというのは本当なんですか?

「刃物だなんて、とんでもありません。裕也さんが手に持っていたのは数珠です。私は両親といました。かなり高い山の上なんですが、夜中に訪ねてらして、話はしましたけれども。

  裕也さんはさまざま悩み苦しんで、しばらくお寺にこもり、お坊さんから数珠をいただいたそうです。その数珠を持って、伊豆の山に登っていらしたんです」

 ーー内田さんはお金に対してチャランポランで、放蕩していたと言われてもいます。

「例えば、画家のピカソでもモディリアーニでも、みんな初めはお金がありませんでした。女性に食べさせるなんてとんでもない。自分が食べる物がないんですから。それは彼らが芸術を生活の糧だとは考えていなかったからです。

 つまり、自分のクリエーターとしてのあふれる才能を発信しているだけで、それが売れるか売れないかなんて考えていない。お金を稼ごうとはしていないから、当然いつもお金がないですよね。

 内田さんもそうでした。ロックコンサートや映画に出演していても、それでお金を稼ごうとはしていないのです。

 残念ながら、もっとお金というものに対して、意識が行けば良かったんでしょうけれど、全く興味がなかった。でも、裕也さんはいつも、誰かがサポートしてくれていました。それは裕也さんの人間性だと思います」

 ーー島田さんも貢いだ?

「貢ぐなんていう言葉は私の辞書にはありません。お金というのは、ある人があるときにない人を助ける。それが普通の流れだと思っています。男女も関係ありません。私は1度だけ、裕也さんに協力させていただいたことがあります。ロックンロールコンサートの資金を半分協力致しました。それは、貸したのではありません」

 ーー島田さんも、内田さんからパワーをもらっていたのでは。

「そうですね。すごく印象に残っている思い出は映画『ブラック・レイン』(89年公開)のこと。裕也さんが、松田さんが出演するヤクザの子分役で出演していた。私も、映画の撮影にずっとついていたんです。私もアメリカ映画に出演していたので。
 松田優作さんにとっても、『ブラック・レイン』は最後の作品。リドリー・スコット監督で、主演はマイケル・ダグラスだった。撮影が全て終わって、優作さんがロサンゼルスのホテルに泊まっていらして、そのホテルのバーで、みんなで最後、飲み会をしたんですね。

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優作さんがくれた最後の言葉