そんな時、私が泊まっていたホテルのドアの扉の下に小さなメモ書きが挟んでありました。なんだろうと開けてみたら裕也さんからの直筆の走り書きでした。
『今、大変悩んでいらっしゃると思います。自分の意見を一言言わせてください。裸になることで、島田さんの品位は1ミリたりとも傷つきません。それは別問題だと思います』
ということが書いてあった。それを読んで、私も覚悟ができました。ヌードというものに対して、考え方を変えました。覚悟を決めて、やらせていただきました。だからそのメモ書きは、私にとって大きな意味がありました」
ーーそれが交際へ発展していったのは?
「お食事をご一緒させていただいて、そこでお話させていただくうちに、お互いの共通点が見えてきました。私は何か、津波にのみ込まれるような感じでした。
裕也さんは、雨の中、東映の撮影所の門の前に、私を待って立っていました。あの時の姿はまるで高校生のように見えました」
ーー内田さんは奔放に多くの女性と交際していたイメージがあります。
「内田さんは女性に対しても、お金に対してもチャランポランだ、とコメントをされている方をテレビで見ましたが、私から見た裕也さんはおよそチャランポランからほど遠い人。私は友人として、ハッキリ訂正しなければなりません。
超まじめ人間で、一つのことに夢中になると、まるで3歳の子が積み木遊びを覚えたみたいに、一生懸命になった。
どちらかと言うと女性に対して興味が薄く、女性がたくさんいるクラブなどへ行くと、女性と話ができず固まってしまうタイプでした」
ーー88年、島田さんと内田さんがハワイで一緒のところが、写真週刊誌『フライデー』に掲載されました。あの時の真相は?
「ハワイはただのバケーションです」
ーーハワイの島田さんの所有するコンドミニアムで会っていたとも、報じられたことがありましたが。
「100%ないです。私は、ハワイにコンドミニアムも、家も持ったことがありません。ほんとにいい加減な作り話ばかりなので困ります」