「カタカナで『ハッテンバ』と書くのが一般的です。なぜなのか。その理由は僕にも分かりません」

 伊藤さんはそう言う。

 ハッテンバそのものはそれこそ昭和以前から存在していたが、お金がかかる「有料発展場」が登場したのは戦後の混乱も落ち着き始めた1950年代前半ではないか。「発展旅館」や「淫乱旅館」と呼ばれた旅館もあった。ただ、高度経済成長が本格化するのに伴い、そうした「旅館」は減り、サウナや浴室、個室などを備えた清潔な施設が台頭してくる。

 スカイジムに話を戻そう。もともとホテルの回転展望レストランだった。昭和56(1981)年ごろにオープンし、「時代の最先端を行く結婚式」なども営まれていたという。海外の著名人も泊まり、夜になると2丁目のゲイバー街に繰り出していたといわれているが、本当かどうかは分からない。

 回転展望レストランは当初は話題にはなったが、思ったほど客は集まらなかったようだ。新宿駅から少し離れた場所にあり、周囲に高層ビルが林立するようになり、存在感も薄れていった。維持管理が大変になり、経営が別の人の手に渡り、場所柄、「ハッテンバ」になった……そう推測するのが自然である。

 回転展望レストランだっただけに全面ガラス張り。明るく、見晴らしはよかった。入店に年齢制限はなく、店で用意されたガウンを着用するのが「約束事」で、シャワー室もあった。個室がいくつかあったが、「中は迷路のようだった」と利用者は話していた。

 スカイジム開業時の昭和56年ごろの新宿といえば、歌舞伎町を中心にノーパン喫茶、ビニ本屋、のぞき劇場などがひしめき合い、いまでは考えられないほど活気に満ちていた。ライターいその・えいたろうさんは『好色魂 性のアウトロー列伝』(幻冬舎アウトロー文庫)で当時の様子をこう振り返っている。

「夜の帳(とばり)が降りた新宿歌舞伎町に辿(たど)りつくと一気に頭の構造をガチャガチャと叩きこわされるような気がしてならない」

 だが、ハッテンバは対極にある。隠花植物のように人目をはばかり、ひっそりとしているのが特徴だ。

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