記者会見した村田修一 (c)朝日新聞社
記者会見した村田修一 (c)朝日新聞社

「僕としては万全の準備をして待っていたが、かなわなかった。ただ、その2文字(引退)を、今日は使いたくない。ブレーブスのために、最後まで野球します。けじめとして」

 独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーしながらNPB(日本プロ野球組織)復帰を目指していた村田修一内野手(37)が8月1日に記者会見し、こう語った。その前日がNPBの移籍期限だったが誘いはなく、今季中のNPB復帰がなくなったことを受けての言葉だ。スポーツマスコミは“美学”“けじめ”と好意的に報じ、「まだまだNPBでプレーできる」「頼れる方でした」という元同僚たちのコメントも読むと、なぜ?と思わずにいられない。メディアが伝える彼の評価と、オファーがない、という現実。

 そのギャップの理由を取材していくと、こんな証言に出合った。

「仲が良かった記者たちは、村田が一言多い、という部分を書いていないですからね」(ベテラン記者)

 長く中心選手としてやっていると、自分のことだけでなくチームのことを考えるようになり、そこで村田は、このままじゃダメだ、という部分を口にするタイプだという。

「自分はやっている、できる、という自負、自信があるから口にするわけです。それは大概、正論で、聞いている記者は、熱い奴だ、と評価する。だけどフロントや首脳陣からすれば自分たちへの批判なので、おもしろいわけがない」(同前)

 そんな選手が去年の10月に巨人を自由契約になったわけで、「その時点で今回の結果(オファーなし)は予測できた」(別のベテラン記者)という声もある。

 まだ十分に戦力だと思われる村田のような選手を手放すとき、普通は他球団にトレードの打診をするが、某球団関係者によると「打診はなかった」とか。

「球界では訳あり物件と見なされ、“厄介者”とレッテルを貼られたようなもの。村田が巨人を自由契約になった時点で、すぐ声が掛かるだろうと思われたが……と報じた言葉がありましたが、あれは村田に対する気遣いですよ」(同前)

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