
女性ヴォーカルの御三家、エラ、サラ、カーメンと並べるとアニタの特異性が際立つ。声量は乏しく声域は狭く音程はフラット気味で声質はハスキーともパサパサとも言える。それもこれも子供の頃に受けた扁桃腺の除去手術の際に誤って口蓋垂(のどちんこ)まで切除されたことによるのだろう。当然、声は伸ばせないしヴィブラートもかけられない。こうしたほかの歌手と同じ土俵に立てないハンデが彼女を器楽的唱法の開発に向かわせ、聴く者を興奮させずにはおかないジャズ魂に溢れたスタイルとして実を結ばせたわけだ。彼女は「あたしはシンガーではないの。あたしはソング・スタイリストよ」と主張した。筆者にはアニタと、短躯にジャズ魂を漲らせ「リトル・ジャズ」と呼ばれたロイ・エルドリッジ(トランペット)が二重写しになる。二人が息の合ったかけあいを見せたジーン・クルーパ楽団の《レット・ミー・オフ・アップタウン》(1941年)は大ヒットを飛ばした。
初来日は1963年、58年のニューポート・ジャズ祭の記録映画『真夏の夜のジャズ』を通じて魅かれた者も少なくなかったはずだが本格的なコンサート・ツアーではなかった。スタジオで収録された映像が残されている。脂の乗った40代半ば、帯同したピアニストと日本人ジャズメンからなるビッグバンドやコンボをバックに、我が軍がたじたじする百戦錬磨、興奮必至のパフォーマンスを繰り広げている。ライヴだったら紹介できたものを。やがてアニタは麻薬癖が高じて活動を停止、1970年代に入ると自主レーベルやレコード・ショップを立ち上げたが、本格的な復活は我がトリオ・レコードが仕掛けた。『アニタ・オデイ1975』の録音に続いて来日ツアーが組まれ、『真夏の夜のジャズ』が再上映される。この成功に気をよくした彼女はすっかり日本贔屓になり、翌年の1976年から1994年まで来日は8度に及んだ。推薦盤は復活を果たした再来日時の東京公演の模様を収めている。
帯同したトリオがテーマの《ウェイヴ》を奏で始め、司会者の紹介に続いてアニタが登場すると歓声がわく。若者も多そうだ。1969年に復刻された『アニタ・シングス・ザ・モスト』が大好評を博し名盤の復刻が続いていた。若者にも人気は高かったと記憶する。もう56才だが意外に声の衰えは感じさせない。衰えようがないという声もありそうだが。サラリとした心地よい歌唱に快ライヴを確信する。ミディアム・ファストでドライヴする《ユード・ビー・ソー・ナイス…》と、ミディアムでグルーヴする《ハニー・サックル・ローズ》では奔放なフェイクに心浮き立つ。いまやスタンダードだがその頃はヒット曲の《ア・ソング・フォー・ユー》ではピアノの伴奏だけでしんみり綴って心憎い箸休めに。十八番のミディアム・スウィンガー《イグザクトリー・ライク・ユー》はモダンな快唱で若き日のマーク・マーフィーが手本にした。マーク本人に質したら否定したが瓜二つだ。
メドレーの《スワンダフル》はルバートからトップ・スピードに転じて飛ばし、ブラッシュ・ソロを経てミディアムでバウンスする《ゼイ・キャント・テイク…》に滑り込む。《アイ・ゲット・ア・キック…》はゆったりヴァースから始めトップ・スピードにギア・チェンジすると一気に駆け抜けて口あんぐり。バラードの《言い出しかねて》では十八番ならではの過不足のない歌唱が説得力を生んでいる。スロウの《アニタズ・ブルース》はアニタのブルース魂とジャズ魂のほどを再認識させる快唱と言えよう。ラストは『真夏の夜のジャズ』でも知られた十八番で人気曲の《スウィート・ジョージア・ブラウン》だ。バックや緩急に変化をつけて次第に盛り上げていく運びは締めに相応しい。アンコールはこれも『真夏の夜のジャズ』で知られた《二人でお茶を》だ。達者なパフォーマンスからテーマの《ウェイヴ》に滑り込み、ハッピーな気分に包まれたコンサートは幕を下ろす。
【収録曲一覧】
Anita O'Day Live In Tokyo, 1975
1. Wave
2. You'd Be So Nice To Come Home To
3. Honeysuckle Rose
4. A Song For You
5. Exactly Like You
6. S'Wonderful - They Can't Take That Way From Me
7. I Get A Kick Out Of You
8. I Can't Get Started
9. Anita's Blues
10. Sweet Georgia Brown
11. Tea For Two - Wave
Anita O'Day (vo), Merril Hoover (p), George Morrow (b), John Poole (ds).
Recorded at Yubin Chokin Hall, Tokyo, June 19, 1975.
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