化学の知識を重宝され、上九一色村にある教団施設には、自身のホーリーネームを冠した実験施設「クシティガルバ棟」が与えられた。「麻原の直弟子」を自任したが、同じ化学者で第1厚生省大臣だった遠藤誠一死刑囚とは、麻原の寵愛を競い合った。
「サリンというものがあります。作ってみませんか」
麻原にこう提案したのは、93年の年明けだった。「やってみろ」と言われて製造を始め、同年6月にサリンの合成に成功する。94年から95年にかけて起きた松本、地下鉄サリン事件で使われたサリンと、信徒などへの3件の襲撃事件で使われたVXは土谷が製造した。
「(麻原への)帰依を貫徹し、死ぬことが天命と考えます」
裁判では「直弟子」らしく、こう表明。麻原の指示には触れず、遠藤や村井秀夫に命じられるままサリンなどを作ったので、「何に使われるかは知らなかった」と無罪を主張した。
不規則発言も目立った。
検察官に「何言ってんだ、バーカ」「お前が死刑、求刑するのかよ」などと毒づき、「何を笑ってるんだよ」と傍聴人にすごんでみせた。人生で一番、後悔していることを聞かれた時は、
「(遠藤を)殴ってもいいと尊師から言われたのに殴れなかった」
と答えた。
一審の最終意見陳述では、大好きだったという漫画『ゴルゴ13』をもじった「オウム事件解析13の公式、オウム13」という小説風の物語を2時間かけて読み上げた。一連の事件はオウムの犯行ではない。遠藤と村井が教団を破滅に導いた――という内容だった。そして、こう締めくくった。
「松本サリン事件とVX事件の真犯人を見つけ出してくれたら、報奨金を払います。前金はオウム弾圧にかかった金額の1万分の1でいかがでしょうか。続く」
一、二審とも求刑通りの死刑判決。最高裁では麻原への信仰がなくなったことを強調したが、2011年2月、死刑が確定した。
■出家2カ月後に坂本事件に関与
<中川智正(なかがわ・ともまさ)>
(1)生年月日:1962年10月25日
(2)最終学歴:京都府立医科大医学部
(3)ホーリーネーム:ヴァジラティッサ
(4)役職:法皇内庁長官
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):師長
オウムに出家してからの人生は、教団の犯罪の歴史と重なり合う。
地元・岡山県の名門高校から京都府立医科大学へ進学。在学中は柔道部で活躍し、5年生の時は学園祭の実行委員長を務めた。車いすのボランティアを6年間続け、学園祭では車いすを押して会場を回った。正義感が強く心優しい青年――そう評価する声が多かった。