東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
この記事の写真をすべて見る
西武時代の「実験」が今になって「経験」として生かされている(c)朝日新聞社
西武時代の「実験」が今になって「経験」として生かされている(c)朝日新聞社

 西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、健闘を見せる中日ドラゴンズの松坂大輔投手の投球について解説する。

*  *  *

 中日の松坂大輔の投球を不思議に思っている方も多いのではないか。5月30日のオリックス戦(ナゴヤドーム)では白星こそつかめなかったが、6回1安打無失点と結果を出した。4四球で毎回走者を背負うような投球だったが、得点を許さなかった。

 直球はかつてのような球速もなく、その試合でも最速143キロだった。だが、打者はファウルになる。変化球は捕手のミットとは逆に行ったり、ど真ん中に入ったりするが手が出ない。それはなぜだろうと思う部分もあるだろう。

 もちろん、彼の打者の反応に対する観察眼がある。同じ速球でも、カットボール、フォーシーム、シュートと投げ分ける球種の多さ。走者を出してもまったく動じることのない精神力など、様々な要素はある。だが、私は一番の要素に「完璧さを求めず、逆に不完全な状況を利用する術」を持っていることが大きいと最近は感じている。

 私は現役時代に制球の良い部類の投手だったし、特に30歳を超えてからは球威よりも制球力で勝負していた。それでも100球投げれば、20球前後は自分のイメージとは違う球筋、制球ミスが起きた。だが、その時に常に意識していたのは「この意味のない1球を、次の1球に向けどうやって意味のある球にしていくか」だった。

 例えば、右打者に対し、カウント1ボール2ストライクから、外角低め直球でストライクを取りにいこうとしたが、内角高めにすっぽ抜けたとする。ボール。自分の意図とはまったく違う球で、意味のない球ではあるが、それで打者がのけぞる形が出ていたのなら儲けものだ。その残像を生かして、次の1球は体に近い位置からスライダーを曲げてインコースでストライクを取ることも可能になる。

次のページ