そこで提案したい。セクハラがわからない人は、ぜひ、今回の日大のタックルを思い浮かべてほしい。あれ、なのだ。セクハラとは、やられる側からしたら、あのタックルなのだ。

 同じ試合場にいて、同じルールで動いているのに、突然、意味不明に、脈絡なく背後から攻撃されること。それによって負傷はするわ、試合は退場せざるを得ないわといった、人生を邪魔される体験を強いられることなのだ。しかもアメフトと違い、激しく地面に叩きつけられていても、周りに気づいてもらえず、卑怯な加害者は何事もなかったかのように試合を続けられる。大抵の場合、審判はおらず、たとえいても「やった側の人権はないんですか!」と吠えたりして役に立たない。それでも諦めずに声をあげれば「大人なら我慢しろ」「みんな我慢してきた」と逆に責められたりと傷が深まってしまう。

 以前、ある男性(とてもフェミニストが嫌いだった)に、こう言われたことがある。

「日本には男女平等憲法がある。だから日本は男女平等なのだ。女性の政治家が少ないのも、女性の賃金が少ないのも、女性の能力と努力の問題なんだ」

 ルール守ってないのはまるで女、と言わんばかりの調子に思わず噴き出してしまったが、ルール違反も厭わず厳しく戦うのが男、だなんて世界、もうやめたい。男女平等という建前を信じることすらできないほど、背後からの卑怯な攻撃で負傷し、満身創痍な女たちは少なくない。フェアな審判と、仲間と、謝罪と原因追及と改善を求めるまともな世論が必要なのだ。セクハラわからない、セクハラ罪ないとかいつまでもほざいている場合じゃない。

週刊朝日  2018年6月1日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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