吉田潮(よしだ・うしお)(右)/1972年、千葉県生まれ。法政大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て2001年からフリーライター・イラストレーターに。テレビ評論家としても知られ、10年から「週刊新潮」で「TVふうーん録」を連載中。『幸せな離婚』(生活文化出版)など、著作多数。昨年8月、自身の妊活から産まない人生の選択に至った道のりを描いた『産まないことは「逃げ」ですか?』(KKベストセラーズ)を上梓。久保田光治(くぼた・みつはる)(左)/1965年、静岡県生まれ。清水市立商業高校卒業後、上京。築地市場の仲卸で修業。その後俳優を目指し、森田芳光監督の「悲しい色やねん」で映画デビュー。演劇集団円の研究生、芸能プロダクション所属などを経てフリーに。Vシネマのほか舞台にも出演。2010年、役者業に区切りをつけて実家に戻る。久保田商店は100年以上続く老舗で、光治さんは4代目。ネット通販を始めるなど事業立て直しに奮闘中。(撮影/横関一浩)
吉田潮(よしだ・うしお)(右)/1972年、千葉県生まれ。法政大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て2001年からフリーライター・イラストレーターに。テレビ評論家としても知られ、10年から「週刊新潮」で「TVふうーん録」を連載中。『幸せな離婚』(生活文化出版)など、著作多数。昨年8月、自身の妊活から産まない人生の選択に至った道のりを描いた『産まないことは「逃げ」ですか?』(KKベストセラーズ)を上梓。
久保田光治(くぼた・みつはる)(左)/1965年、静岡県生まれ。清水市立商業高校卒業後、上京。築地市場の仲卸で修業。その後俳優を目指し、森田芳光監督の「悲しい色やねん」で映画デビュー。演劇集団円の研究生、芸能プロダクション所属などを経てフリーに。Vシネマのほか舞台にも出演。2010年、役者業に区切りをつけて実家に戻る。久保田商店は100年以上続く老舗で、光治さんは4代目。ネット通販を始めるなど事業立て直しに奮闘中。(撮影/横関一浩)
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 夫は元俳優で、干物屋を営む久保田商店社長・久保田光治さん。妻は「週刊新潮」で「TVふうーん録」を連載中のコラムニストでイラストレーターの吉田潮さん。二人はそれぞれ静岡と東京で暮らす遠距離別婚だ。その決断に至った背景とは?

「『あそこのデカイ男を紹介して…』吉田潮の夫との衝撃的な出会い」よりつづく

*  *  *

――付き合い始めて3年たったころ、ふたりは一度、別れている。そのころの妻は「子どもが欲しい病」にとりつかれていたという。

妻:私も結婚にはまったく興味なかったんです。ただ、好きな人と一緒に暮らしたかったのと、子どもが欲しかった。今思うと、相手と付き合っている証しが欲しかったんだと思いますね。日記を読み返すと、妊娠や同棲について、ずいぶん話し合った形跡があって。

夫:それでも僕は結婚する気がなくて。いくら同棲だけでいいって言われても、そうなったら結婚に向かうことになるじゃないですか。それでいつもケンカになって、別れることに。

妻:とはいえ、お互い新宿界隈にいたから、ばったり会ったりしてね。

夫:友達ではいたからね。会えば「よう!」なんて。

妻:それが1年後にまた合流したのは、私があなたのお芝居を見に行ったのがきっかけだよね。芝居のあと飲みに行って。私、彼に強烈にダメ出ししたんですよ。

夫:演出家も共演者もみんな年下だったんです。稽古の段階から僕には誰も意見をしない。僕はまだまだ芝居は下手だし、遠慮なく言ってほしかったのに。

妻:私はもう、思ったことをずけずけと。「刑事があんな靴履いてるわけがない!」とか。ほぼ、言いがかり(笑)。

夫:でもそれがうれしくてね。べろべろに酔っぱらったのを覚えてる。やっぱりわかってくれてるのはキミだけだ!なんて。

妻:そのとき彼が言ったんですよ。「やっぱり、結婚するんだったら、君だったなあ」って。覚えてないみたいだけど。

夫:ハイ。覚えてないです。

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