「アイツは家族みたいな存在だった」と須崎は言う。「きつい練習もアイツがいたからできた。いつもフルスイングで守備も全力だ。気の抜いたプレーをするやつに飛び蹴りをしたこともあるが、真剣に野球に向き合ってのことだから誰も文句を言わなかったし、皆、アイツのことが好きだった」

 完太亡き後、須崎は「ここぞ」と気合を入れる時には完太愛用のバットを取り出し、打席に立った。

 完太が1歳の時に離婚し、働きに出ていた母千登世に代わって、小さい頃から練習や試合の送迎などは祖母千波が担っていた。千波は高校入学に際し、新しいグローブを発注した。イチローモデルの特注品で、完太はそれを楽しみに待っていた。が、グローブが届いたのは完太の告別式の2日後だった。実家の仏前にはそのグローブが今も供えられている。その中にはボールが入っている。北部地区新人戦で優勝した時のウィニングボールだ。部員らの思いであり、今でも一緒に野球をやっているという彼らのメッセージでもある。

 2017(平成29)年夏。川合ら3年生最後の甲子園への挑戦が始まろうとしていた。大会前に催された出陣式では、野球部父母会から必勝の千羽鶴が渡されたが、鶴の色が織りなすそこには「恩」の一字が表現されていた。

「恩」は完太の帽子のひさしに書かれていた「母ちゃん バアバに恩返し」からの一字で、「恩返し」は3年生の最後の大会に挑む合言葉だった。

 小鹿野野球の看板は打線だ。打ち出したら止まらない。かつてプロ野球で日本一に輝いた時の横浜が「マシンガン打線」を売り物にしたが、その高校野球版である。長打も続き最後にドカンと一発で相手を粉砕するのが小鹿野だ。だから5点くらいリードされても簡単にひっくり返す自信がある。町の看板「小鹿野歌舞伎」にちなんで「歌舞伎打線」と名付けられ、応援席からは歌舞伎の拍子木をアレンジした応援グッズが打ち鳴らされる。その乾いた甲高い音はジャストミートした際の打撃音をほうふつとさせる。

 しかし、その夏、甲子園を視野に入れて臨んだはずの小鹿野の打線は湿ったままの音を鳴らすだけで、不発に泣いた。

「上ばかり見ずに、目の前の一つ一つを見据えろ。そして感謝の心を忘れるな」 須崎から後輩へのメッセージだ。あわせて「恩」も引き継がれた。

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