しかし、それだけでは済まされなかった。新年度を迎えた練習初日、石山の前に整列したのは前年からの5人しかいない。あとは入学したばかりの山村留学生を含む1年生7人が加わっただけだ。だいたい、昨秋の大会は陸上部やサッカー部からの助っ人で頭数をそろえて試合をしたという。これからは純粋の野球部員だけで戦えるが、1年生を早速レギュラーとして鍛え上げて起用しなければならない。

 頭を抱えている暇などないが、早くも目の前で起こっている愚行に石山はがくぜんとさせられた。内野手の指導に集中し、目を離していた隙のことだった。ピッチャー同士が腹ばいになって腕相撲を始めたのである。

「思わず怒鳴りかけたところ、斉藤監督に『先生、怒らないでください。怒ったらアイツら辞めちゃいます。そして学校も辞めてしまえば暴走族になっちゃいますから』って。さすがに二の句が継げなかった」

 斉藤が小鹿野高校に赴任した当初、野球部はこんなものでは済まなかったという。あまりにだらしない態度をとる部員たちに対し、「ちょっと締めるか」とおきゅうをすえたところ、12人の部員が4人になってしまった経験がある。その前年には練習試合中に相手チームを前にして部員同士が殴り合いを始め、没収試合になったこともあった。

 石山は怒りの矛先をとりあえずは収めることにし、普段から服装にもだらしない一人に言い放った。

「お前を明日から野球部の風紀委員長に命ずるからしっかりやれよ」

 石山は最も不適任な部員に責任を持たせるという逆説的手法で部内の乱れを正そうとした。これまでの生活とは全く無縁の大役を仰せつかり、それを意気に感じたのか、自覚を促された件の風紀委員長は生活態度を一変させた。気がつけば野球部内だけでなく、茶髪やパンツ丸見えの腰パンが当たり前だった一般生徒にまでその“取り締まり”は波及し、学校全体が大きく変わり始めたのである。まわりは「お前に言われたくないよ」とでも思ったのだろうか。いずれにせよ、石山の荒療治とも思える“生活改善作戦”は功を奏したのである。それは今にいたり、小鹿野中学校の田島昌司校長がPTAだよりの中でこうつづっている。

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