北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
平昌で一番口にした単語は結局…(※写真はイメージ)平昌で一番口にした単語は結局…(※写真はイメージ)
 作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は、「平昌五輪」について。

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 安倍さんが平昌五輪の開会式に行くと発表した日、「私たちも行きましょう」と物書き仲間の井戸まさえさんに誘われ、なぜ?……と思いながらも行っちゃいました、平昌五輪開会式。

 とはいえ行くまでに、何度も弱気になった。何しろチケットが高い。一番安い2万円の席はとっくに完売で次が6万、一番良い席は15万だ。「歴史に参加するにはコストがかかるのよ!」と、6万の席とホテルを確保したのが、開催10日前。

 弱気になったのは、日本のニュースのせいもある。どこかで失敗を望むような報道が多いのだ。チケット売れてないとか、寒すぎて死者が出るとか、トイレ少ないとか。その度に私は冷凍庫で作業する人用の手袋や、夜回り記者愛用のカイロや、万が一の紙おむつを買い込み、凍るかも、漏らすかも……と不安を抱いたのだ。

 さて。ソウルに到着し、まず驚いたのは五輪感がほぼゼロだったことだ。空港の柱に五輪のポスターは貼られているが、五輪に運命懸けている日本とはかけ離れた落ち着きだ。平昌ですら五輪一色ではなく、約6割五輪という静けさだ。さらに驚いたのは開会式が満席だったこと。15万の席の一部が空いていたけれど(VIP席の近くなので空けていた可能性もある)、世界にはこれほど五輪ファンがいるのだと思い知らされるほど、様々な国の言葉があちこちから聞こえてきた。過去の五輪観戦体験を楽しそうに語るアメリカ人やドイツ人たちの会話に耳をすませながら私は……汗をかいていた。そこまで寒くないのだ。というか多分、あの会場で私たちが一番厚着だったと思う。

 
 額に汗をかきながら双眼鏡で会場を見渡していると、安倍さんの姿が目に入った。ちなみに日本選手団が入場した時、安倍さんは本当に楽しそうに日の丸を振っていた。総理というより、ただの日本好きの子どものようで、ああこの人は、本当に子どもなのだと思った。

 開会式には様々な見せ場があったけれど、キャンドルを手にした人々に囲まれ、4人の歌手がイマジンを歌った瞬間に胸をつかまれた。前大統領への抗議のため光化門前で毎週末行われたキャンドル集会そのものだった。歌手の一人、チョン・イングォンはキャンドル集会で歌っていた。あのイマジンは民主主義を求める韓国人の戦いを再現し、目の前にいる大統領に平和への誓いを促す民からのメッセージだと思った。この国の主役は民である。そのような宣言に、私は見えた。

 というわけで、私は凍ることなくショーを楽しんだのだけど、帰国後、開会式後に帰宅困難が生じたという日本の記事を読み、驚いた。どこまで意地が悪いのか。数万人の観客が一度に同じ方向に向かうのだから確かに不便はあった。ホテルまで1時間のところ3時間かかった。でも誰もパニックにならず、臨機応変に対応する運営の手腕に助けられた印象しかない。

 最後に。井戸さんと私が平昌で一番口にした単語は結局「暑い」という間抜けな結果になったことを報告したい。

週刊朝日 2018年3月2日号