足首のケガという最大の危機を乗り越えての、フィギュアスケート男子での66年ぶりの五輪連覇。いったい何が、羽生をここまで強くしたのか。前出の後藤記者は言う。

「ケガで練習できない間、リハビリで陸上トレーニングをやったそうです。しかし、体力は落ちていたと思います。彼の練習時間は短く、1日約2時間、週4~5回程度です。今回、故障した足首はもともと弱く、食も細いので風邪をひきやすい。喘息(ぜんそく)の持病もあり、心肺能力が高いわけでもない。短時間に集中してやるしかない、という必然性もあると思います。短時間で効果を上げるために、記録、言葉、考えることを彼は大切にしてきた。羽生本人は自分の強みを『他人の考え方を自分のものにすること』『研究が僕の武器』と分析していました」

 羽生は、コーチに受けた指導や体の動きで気づいたことをノートに書き、整理し、分析する習慣があるという。

「小学2年生のとき、コーチに『ノートをつけなさい』と言われ、つけ始めたのがきっかけだったそうです。今でも体の動きやタイミングを整理し、言葉にして記録に残しておく。羽生はその能力が高い。ジャンプが成功したときの共通点は何か。足や腕の位置などをずっとメモする。コーチに聞いたり、ほかの選手を見たり、家族の話を聞いたり。いろんな材料をいっぱい集める。そこから絶対必要なものを絞り込む。ジャンプ成功のために絞り込んだポイントを『最大公約数』と彼は呼び、再現していく。金メダルはその分析力が発揮された成果でしょう」(前出の後藤記者)

 いわば“脳力”の強さが生んだ勝利。その力は、普段の取材の場面でも感じられるという。

「羽生の試合後の取材は、負けたときや失敗したときのほうがおもしろい。そのときの精神状態とか、体が開いたとか、失敗した理由はああでこうでと、饒舌に語るんです。動きを言葉に置き換えるのがうまいんですね。小学4年くらいからメディアの取材を受けてきたことが、良い効果を生んだと、本人も語っています。また、小さい頃から『なんで、どうして』とよく言う子どもだったそうです」(同)

 羽生を知る関係者が口をそろえるのは、現在の強さは、人一倍の努力で培われたものということだ。東北高校フィギュアスケート部の後輩の証言を紹介しよう。

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