大センセイ、個展に行くたびにいつの日か必ずこのおっさんに、「お前すごいな」と言わしたろと、なぜか大阪弁で決意を新たにするのだった。
原先生の訃報が届いたのは、七月の初旬であった。
ちょうど息子の昭和君が病気をしていたこともあって、通夜にも葬儀にも参加しなかった。いや、行けないこともなかったが、なんとなく行きたくなかったのだ。
しばらく経って、朝のニュースを見ながら食事をしているとき、唐突に妻太郎が言った。
「そういえば、原先生のお葬式行けなかったね。お墓参りだけでもしてきたら」
「いいよ、行かなくて」
「どうして?」
「死んじゃったって思いたくない」
自分でも意外なひと言だった。そして、こう言ってしまったとたんに涙が止まらなくなった。甘ったれと言われるかもしれないが、いつまでも、越えられない高い壁のままでい続けて欲しかった。
大正13年生まれの原先生は、男ばかり五人兄弟の末っ子だった。
上の四人の兄を戦争で亡くされたことを、個展の墨跡で知った。木の洞のような目をされていたのは、そのせいかもしれない。
ある年の個展に老いた釣り人の墨絵があり、短い言葉が添えてあった。
「釣れるのは悲しみばかり」
お墓参りにはまだ行っていない
※週刊朝日 2018年1月19日号