作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、2月に発表された環境省の「萌えキャラ」について論じる。
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環境省がオリジナルの萌えキャラを発表したとき、私はもう、何も感じなくなっていた。
友人が、「環境省が萌えキャラ始めた(怒)!」みたいな調子で連絡してきたとき、「海女の萌えキャラよりもマシじゃない? あれは乳首透けてたけど、これはフツーに服着てるし。若者に環境問題に関心を持ってもらうには、こういうアニメが必要なのよ~」と思った。そう思いながら、自分が何を感じているのか実はよく分かっていないように感じて不安になる。友人のように「キモ」って、なぜ反応しなかったんだろう。ああ、もしかしたら恐れていたことが起きたのかも。ついに私も、萌えキャラ不感症になってしまったのかもしれない。
環境省の英語の頭文字MOE、つまり萌え。萌えキャラを作るのは必然でした!とばかりに、環境省が萌えキャラを発表したのは2月のこと。靴下を片足しかはいてないぽやぽやした女の子と、「世界を救う」使命で別世界からやってきた女の子(二人は同一人物)が対話するアニメだ。
萌えキャラの描き方を学んだ友人がいる。彼女が言うには、萌えキャラに求められるのは、骨格や筋肉など、人間の身体としての合理性ではなく「見たいものを見たいように描く説得力」であると。重要なのは「影とツヤ」だ。乳房の形や股間の位置が分かるように服のシワや影を入念に描き込み、不自然な角度で足首や手首や腰や頭をまげていく。あ、内股は必然だ。それは妄想の中の「幼くて可愛い女の子」。言われてみれば、環境省の萌えキャラも、どんなシチュエーションでも乳房はクッキリで、表情や動きはとても幼い。
性差別的文化を土台にしたサブカルとしての「萌えキャラ」が、今や、国がお墨付きを与えたクールジャパンだ。今回の環境省の萌えキャラの作者は女性なのだけど、決して不思議なことじゃない。こんなの性差別!と声をあげるほうが無粋にみえるくらいに、萌えキャラは立派な権力になったのだと思う。だけど、いい大人がサブカルをありがたがるのは、この社会が文化と正気を失っている証拠だ。
とはいえ、私自身、萌えキャラに鈍くなってる。かわいい~とか言えたほうが圧倒的に生きやすいだろう。感じないほうが、楽。それが、選択肢を失った者が最後に取る手段だと、痛みを感じながらも。
※週刊朝日 2017年4月21日号