──二つの組織が連合せず、子どもを育てる計画にもっと前向きだったとしたら、どうでしょうか。
少なくともあのような陰惨なリンチは行われなかったと思います。
──参考にした本の一部を挙げていただきましたが、これらを読んでどんな感想をお持ちですか。
記憶の糊塗と改変によるものなのか、同じ場所に居ながら出来事の捉え方にズレがありますね。見えてくるのは、真実は何かということより、当事者たちそれぞれの人となりです。
──小説として印象深いのは、主人公の啓子が体験する、市営のスポーツジムでの利用者間の揉め事や、駐輪場での口げんかです。かつての彼女ならば自身が「正しい」とする主張を口にしていただろうに無言で出来事をひきずってしまう。
駐輪場に止めておいた自転車のかごにペットボトルが捨てられていた。自販機の横にあったリサイクルボックスがなくなっていることに気づいた啓子は、自販機の脇にそれを並べて出ていこうとして、老管理人から怒鳴られる。「自分が飲んだものじゃないし、ゴミ箱を片付けるからいけないのだ」「しかし、家庭ゴミを捨てられるから撤去したのだ。おまえが捨てに行け」という小競り合いです。でも、若いときはまっしぐらに突き進んでいた彼女が、目立ちたくないが故に、ひきさがってしまう。
──ジムでも女たちの感情的な対立が起きますが、大事にはいたらない。日常のありふれた感じが、逆に過去の事件の異様さを表しているように思えました。
たしかにジムでは自己主張の強い女性がシカトされ、仲間はずれにされることはあっても「総括」になどなりようがない。雪の山に閉じ込められていた、というのは物理的に逃げ場がないですね。
──本書後半に、主人公が営んでいた塾のかつての教え子から葉書が届くシーンがあります。短い描写ですが、光明を感じさせます。
啓子の孤独は、自身でも言語化できないことにあります。人に語れない、語ってもわからないだろう、という孤独です。言ったところで言質をとられ、別の解釈をされてしまう。それで口を閉ざす。ずっとそういう状態にあった彼女が、心境を唯一理解してもらえたと思える場面かもしれません。架空の人物ではありますが、あの時代にもしも自分がそこにいたら、という想像も加味しながら読んでもらえたらと思います。
※週刊朝日 2017年4月7日号