──構想10年と聞いていますが、取材を重ねる中で、当初の物語に何らかの変化はありましたか。
追加取材で、当時、救援対策をしていたという女性に話を聞くことができました。「女性兵士のことを聞きたい」と切り出すと、「その言葉には強い違和感がある。彼女たちは『兵士』ではなかった」と言うんです。
山岳ベースには、妊婦や赤ん坊を連れた夫婦が参加していましたが、特に女性メンバーが多かった革命左派には、ある計画があったそうです。それが、山で子どもたちを産み育てていく計画だった、と彼女の口から聞いたときは衝撃でした。保育士や看護師がいたのもそのためだったと。その彼女も、永田洋子から「あなたも妊娠しているんだったら山で育てようよ」と誘われたそうです。
──証言を得て、プロットを書きかえられたのですか。
当初は、昔の仲間と連絡もとらず、ひっそりと生きている元女性兵士の西田啓子が、姪(めい)の結婚式に行ったサイパンで、アメリカ政府に逮捕される、そこに日本から若いライターがやってきて、縷々(るる)、話を聞くという展開を考えていました。でも、まったく設定を変えて、サイパンには行かない筋立てにしました。
──山岳ベースがあった場所にも行かれたようですね。
案内してくださる人がいて、連れていってもらったのですが、行ってみてわかったのは、ベースの小ささでした。若松孝二監督の映画「実録・連合赤軍」では、大きくて立派な山小屋でしたが、実際は山道を少し入っただけの狭い谷間にあったようです。亡くなった人たちは、こんな谷に放置されていたのかと思い、リンチの残酷さを実感しました。
──リンチの発端は、赤軍派唯一の女性だった遠山美枝子が、会議中に髪を梳(と)かしていたのを革命左派の永田洋子に「革命戦士」にふさわしくないと追及されたことからでした。東京地裁の判決では「嫉妬」によるものとされました。これに対し、小説の中では、リンチの背景に男と女の対立構造があったという見立てをしていますね。