45年前、仲間12人がリンチで殺害される「連合赤軍事件」が社会に衝撃を与えた。その渦中にいた「元女性兵士」を主人公にした長編小説『夜の谷を行く』(文藝春秋)が近く出版される。著者の桐野夏生さんに、いまなぜ彼ら彼女らを描いたのか聞いた。
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連合赤軍は1971年、武装革命を標榜(ひょうぼう)する二つの新左翼組織(赤軍派と革命左派)が合流して結成された。群馬県の山中に潜伏して軍事訓練を行うなか、革命戦士として自己を鍛えると称して「総括」が繰り返され、凄惨(せいさん)なリンチに発展していった(山岳ベース事件)。その山岳ベースから逃走したメンバーは72年2月、10日間にわたってあさま山荘に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた。『夜の谷を行く』は、それらの事件を題材に、「文藝春秋」で2014年11月から16年3月まで連載されたものをもとに単行本化された。
──桐野さんは1970年に成蹊大学に入学していますが、その前の高校時代にはベトナム反戦のデモにも加わったそうですね。あの当時は、共産主義革命を志す若者たちが大学の内外で活動していました。
ベトナム戦争と安保体制に反対する学生たちもいれば、共産主義革命を標榜する学生もいて、各派入り乱れる感じでした。特に、赤軍などは、話に聞くだけで、私の周辺にはいませんでしたね。でも、真剣に武装闘争を考えているという意味で、学生の間に憧れめいた気持ちがありました。しかし、あさま山荘事件のあと、山中で12人の遺体が発見されると、社会の空気が一変した。リンチ事件が凄惨でしたし、最高幹部の永田洋子(ひろこ)に対する判決文も劣悪で、彼女一人の過失のように言われて矮小化(わいしょうか)され、それで真実がわからなくなってしまった。
それから約40年。2011年2月に永田洋子が亡くなり、3月に東日本大震災があり、事件が完全に過去のものになったと思いました。それまで連合赤軍を書かないかという編集の方の働きかけがあっても、いまひとつ乗れない感じでしたが、ようやく重い腰を上げる気になったのです。山岳ベースに参加していた女性たちは、いまどうしているんだろうかと考えるようになりました。それが今回の小説を書く発端です。