実は小泉はローラーゲームで人気者になる前の小学生の頃、子役として活躍していた。東京都大田区で生まれた彼は6歳の頃から事務所に在籍し、数々の雑誌でモデルとして活躍。ソーセージのCMではジャイアント馬場に抱っこされ、モービル石油のCMでは巨人の王貞治と共に年間契約する売れっ子だった。
「学研の『科学』と『学習』の1年生、2年生、3年生の表紙を順番にやってました。森光子さん、草笛光子さん、三木のり平さんたちのドラマにも出させて頂きました。『マグマ大使』にも、ちょこっとですが出てました」
同年配以上の方なら、どこかできっと見たことのある男の子だったのだ。
「だけど、中学に入ったときに辞めちゃったんです。次兄の影響でテニスがしたくなって、仕事に行きたくないな、と思ったんですよ」
子役時代を知る舞台人、野瀬哲男はこう振り返る。
「ヒロシちゃんと呼ばれてました。彼はチャコちゃんシリーズ2作目の『チャコちゃん社長』にレギュラー出演してから事務所の稼ぎ頭だったと思います。タレントとしての可能性がありました。いるだけで可愛いタイプで、人気があっても生意気じゃなかった。その事務所を僕が先に辞めて、あるとき彼のお母さんから連絡があり、『ローラーゲームを観て』と。それでボンバーズに入ったことを知り、驚きました。彼が事務所を辞めたことは知ってましたから、あのビジュアルだからいずれまたタレントとして出てくると思ってたので、そっちに行くの?という感じでしたね」
野瀬は記者の恩人でもある。一昨年、文学座時代から“アニキ”と慕っていた松田優作を追悼する舞台を演出され、その稽古を取材したときに小泉を紹介されたことで、彼の“人を笑顔にする人生”を知ったからだ。
話を元に戻そう。小泉が初渡米したとき、トレスクの設立前から活動していた先輩スケーターたちは納得できず、多くが辞めていったという。
「だけど、ゲームの展開も含め、オーナーは全部のことを考えてましたからね。日本人チームが外国人チームと戦うとき、体が全然違ってちっちゃいですから、どう戦うかといえば、技術と“ちょこまか”でしょ。ちっちゃい選手が相手のでっかい選手の股下を抜いたり……そのイメージに“アイドル”の小泉がハマったんだと思うんです。
それと、レース中にローラースケート靴が壊れて使えなくなることがあるんですが、そういうときに小泉が人から靴を借りて滑ってたのを覚えてます。調整具合が違うので、人の靴で滑るなんて、彼以外見たことがありません。天才ですよ。最初は下手でしたけど(笑)。オーナーは見る目があった、ってことです」(ロニーT)
(文中敬称略。次号へ続く)
※週刊朝日 2023年2月24日号