「周囲には妬まれてましたけど、へこたれないんです。ひょうきんで、『エヘッ』って感じで、可愛げがあるんですよ」(堀井)
小泉は、ボンバーズ初の日本興行にデモンストレーション要員として参加できることになった。雑用係のようなものだったが、5連戦初戦にレギュラーが大けがを負い、以降の試合ではアドバンスの選手が日替わりで出場機会を与えられた。
「第5戦の日、バンクの掃除のために会場入りしたらオーナーから『今日、ゲームに出ろ』と言われたんです。しかも『今日は、お前がジャマーだ』と、ポイントゲッター役に指名されて……」
あまりの急展開に震えてしまったという小泉。それでも試合が始まると、豹のように身軽で“黒豹”と呼ばれていたラリー・ルイスの股の間をスルッと抜けて大歓声を浴びる活躍。ワンチャンスをモノにして準レギュラーとなっていく。
■馬場や王と共演人気子役の過去
実は、同じように「スケートの技術だけではないところで選ばれている」と思われる選手が、もう一人……ヨーコのインタビュー中、記者には、どうしてもそう感じられ、不躾ながら率直に尋ねると、彼女は大きく頷き、こんな話をしてくれた。
「私はそんなにうまくなかったので、合格と聞いて『えーっ』。“黒髪”で受かったのかなと思いました。着物が好きで、毎年お正月には日本髪を結って着物を着ていたんですが、当時お世話になってた髪結いさんに『多くて真っ黒で良い髪』と褒められていたんです」
彼女をピックアップしたのはオーナー。長い黒髪が日本女性を象徴するものとして映っただろうことは想像に難くない。
「合格後、バンクが設置されている体育館に移動して、『滑って』と言われたんですが、傾斜のあるバンクでは滑るどころか、立てなくて。インフィールドでジッとしてました。それをオーナーも見てて……」(ヨーコ)
スポーツ競技の選手選考は、確かな技術を持った者がベストなパフォーマンスを披露して選ばれるものだろう。しかし小泉もヨーコも、それとは違う選ばれ方をされていた。しかも興味深いのは、それから半世紀も経った今、東京ボンバーズと聞いて思い出される名前の筆頭は、多分、2人のどちらか。スターになる者には技術とは別の要素、いわゆる“華”があるということだろう。