「北の富士さんも協会のほうで重責を果たすことになっていたので、気持ちよく部屋を譲り、そこまでは師弟関係は良好でした。ところが、千代の富士は『俺が引き受けてやるんだ』という態度で、謙虚さに欠けた。結局、弟弟子の北勝海が八角部屋を興すと、北の富士さんは親方衆を引き連れて、八角部屋の実質的な後見役になってしまった」
2012年には相撲協会で北の湖理事長の下、事業部長に就任。実質的なナンバー2として、北の湖理事長が病気療養中の時は、理事長代行を務め、次期理事長の座が有力視されていた。
しかし当時、北の湖理事長の“右腕”と言われ、協会の経理や事務を担っていた経営コンサルタントのK氏が協会と契約したパチンコ業者から裏金を受け取った疑惑がきっかけで、協会との不協和音が生まれる。
「九重親方は『真相をきちんと解明すべきだ』と主張したが、結局、問題は北の湖理事長の裁定であやふやにされました」(池坊さん)
歯に衣着せぬ物言いが他の親方衆から疎んじられたのか。14年の理事改選で九重親方は最下位となり、ただ1人落選するという憂き目に遭った。
最後まで軋轢(あつれき)は解消されなかったのだろうか。九重部屋関係者からは「夫人が協会葬を固辞した」との話が漏れ伝わる。
協会に確認すると、つれない答えが返ってきた。
「いま、協会葬を行う予定はありません。理由は公表しません。公表の必要がないからです」(広報部)
晩年の境遇はさみしさが残るが、それでも偉大な横綱の雄姿は多くの人々のまぶたに焼き付いている。
大の相撲ファンで知られる作家、嵐山光三郎さんの手向けの言葉である。
「豪快な投げ技を得意とした千代の山さんと、きっぷのいい押し相撲が身上だった北の富士さんの両方の特長を兼ね備えていた。小さな身体だが筋肉に芯が入っていて、投げ技を決めると土俵に稲妻がピカッと走ったように感じたものです。いまのモンゴル勢3横綱に勝てるのは、現役時代の千代の富士さんだけです」
※週刊朝日 2016年8月19日号