8年ぶりの200勝が目前となった広島カープ・黒田博樹投手。その数字だけでなく、ほとんどが先発として積み上げたものだということに、西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は注目する。
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広島が相変わらず素晴らしい戦いをしている。6月29日のヤクルト戦(マツダスタジアム)では、黒田博樹が日米通算200勝へ王手をかける199勝目を手にした。
黒田の技術面の素晴らしさはたくさんある。でも、何はさておき、「ハンドルに遊びがある」という表現が当てはまるような、投球フォームの柔軟性がいいよね。踏み出した左足の足首、ひざの柔軟性。下半身から上半身へのスムーズな力の伝達。そして指先の器用な感覚だろう。
米大リーグに行く前の広島時代の黒田は本格派投手ではあったが、メジャーを経て、技巧をスムーズに採り入れた。これは柔らかさがないとできない。日本より硬いメジャーのマウンドで、大きな故障もせずに乗り切れたのも、柔らかさが要因だろう。
200勝を達成する投手は本当に少なくなった。中日の山本昌が達成したのは2008年。あれから8年か。投手の分業制が進み、完投数が減っている実情は理解できる。
だが、グラウンドに立ち続ける黒田の姿を見てほしい。足に打球を受けても、中6日でしっかりマウンドに立つ。準備としてどんな練習をしてきたのか。安打数の世界記録を作ったイチロー(米マーリンズ)もそうだが、記録を作る人間は、試合に出続けるし、それができる理由が必ずあるものだ。
しかも、価値があるのはこれまで築いた199勝のうち、198勝が先発での勝利ということだ。中継ぎでの1勝は、05年10月7日のヤクルト戦(神宮)。当時の山本浩二監督が最多勝を黒田にとらせるために、2―2の五回から中継ぎ登板させ、見事に勝利。この年は15勝で最多勝を獲得している。翌06年は防御率1.85。文字通り日本球界を背負う投手に成長した。
黒田のおかげで、内角のボールからストライクゾーンに入ってくる「フロントドア」、そして外角のボールからストライクゾーンに入る「バックドア」という言葉が浸透してきた。
でも、高校生ら若い選手にはまねをしてほしくない。投手にとって最高峰の技術に属するものだからだ。まず、同じ投球フォームで投げ続ける「土台」が不可欠。球場ごとにマウンドは異なるから、投球フォームには柔らかさが求められる。そのうえで手首と指先の繊細さで制球をつける必要がある。私も西武時代、右打者の外角のボールゾーンからシュートしてストライクゾーンに入る球を試したが、精度は高められなかった。
41歳でローテーションを守り続けることがどれだけ大変か。今の広島の若手投手たちは本当に幸せだ。黒田のプロ意識や、登板に向けてどんな準備をしているのかを目の当たりにできるのだから。これは広島にとって、かけがえのない財産だ。
※週刊朝日 2016年7月15日号