低ナトリウム血症は虚脱感や疲労感に始まり、精神錯乱から最悪の場合死に至る。ただ、食塩の摂取は高血圧の発症要因として最も重要なものである。塩が貴重だった古代、体内にナトリウムを貯留できる遺伝子を持つタイプが生き残ってきた。高血圧は遺伝性の強い疾患だが、塩はその原因でもある。このタイプの人が慢性的に必要以上の塩化ナトリウムを摂取すると、血圧の上昇が生じ、高血圧による動脈硬化の進展に従って血管の柔軟性が失われるため代償的に血圧が上昇し、さらに動脈硬化が進む悪循環に陥る。敵に塩を送った謙信も、ナトリウム貯留遺伝子を持っていたのか、最期は脳卒中だった。

 天正5年(1577年)、諸城を次々に攻め落とし能登国を支配下に収めた謙信は、9月23日、柴田勝家率いる織田軍を加賀国手取川に強襲し壊滅的な打撃を与える。しかし翌年3月9日、春日山城で倒れ、意識が戻らないまま3月13日死亡。享年49。

 米どころで水も良い越後には名酒が多く、山海の美味にも恵まれる。毘沙門天に不犯を誓い、戦略を磨くことに生涯をかけた謙信には、酒が唯一の楽しみであると同時に、自らの生命を縮めるかもしれないという自覚もあったようだ。その思いは辞世の句とされる「四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒」にうかがわれる。最近、塩化ナトリウムが血清グルココルチコイドキナーゼ(SGK1)という遺伝子を活性化して自己免疫疾患を誘発するという報告が出てきた。塩分制限やカリウム投与は逆に異常な免疫活性化を抑制する。血管炎や血液凝固異常も脳卒中の原因となるので、いずれにせよ大酒と肴は謙信の健康によろしくない。

 彼の突然の死は後継者をめぐる内乱に発展し、上杉氏は天下取りの競争からは脱落する。ただ、上杉謙信が長命したとしても、天下を取ったかどうかは分からない。謙信はライバル信玄同様、熱心な仏教徒で旧来の秩序と価値観を重んじる中世のパラダイムに生きていた。南蛮商人やイエズス会の宣教師を通じて大航海時代という世界の動きを見通していた織田信長と、その影響を強く受けた秀吉、家康とは時代認識に差があったと言うべきであろう。

週刊朝日  2016年6月17日号

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