舛添要一氏 (c)朝日新聞社
舛添要一氏 (c)朝日新聞社
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 舛添要一東京都知事(67)がいよいよ土俵際に追い込まれた。次々と噴出する「政治とカネ」疑惑に対し、まさかの「ゼロ回答」で臨んだ記者会見は都民からブーイングの嵐。自称“トップリーダー”のセコすぎる人物像はいかにして形成されたのか。

 舛添氏といえば女性関係も一筋縄でいかない過去を持っている。

 結婚は3回し、愛人は2人いた。1回目は78年。東大を卒業し、留学先のヨーロッパでフランス人女性と出会い、結婚した。2回目は86年。お相手は当時大蔵キャリア官僚で、現参議院議員の片山さつき氏だった。現夫人で16歳年下の雅美さんとの間には2人の子をもうけ、元愛人Aさんとの間に1子、Bさんとの間に2子と、計5人の子がいる。

 舛添氏と1子をもうけた元愛人Aさんの父親(90)は、娘と舛添氏との交際のいきさつについてこう話す。

「娘は米国の留学先から帰ってきて、東大の学生になったんです。舛添さんが担当教官で、ゼミで親しくなったと聞いています」

 Aさんは一人娘。当時、親元を離れ、東京都世田谷区内のマンションで一人暮らしをしていた。

「そもそも、娘に一人暮らしをさせたのが間違いでした。舛添さんはたまたま娘の近所に住んでいて、自転車で娘のマンションへ通うようになってしまった。私が娘のマンションへ行ったら、舛添さんと鉢合わせして、一緒に食事をして、ビールを飲んだりしたこともありました。最初は娘と結婚するのかと思っていて歓待したのですが……」

 Aさんが舛添氏と交際していた当時、舛添氏は片山氏と結婚していた。Aさんの母親(84)が言う。

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