ピープル・タイム/スタン・ゲッツ&ケニー・バロン
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 内容に責任をもち、確信をより確かなものにするために、わたしは毎回必ず、テーマとなるCDを鳴らしながら、この「ジャズとよい音の関係」を書くことにしている。できることならば、そこで聴きながら起きた感動を、「魚拓」のように文章に写し取りたい。ところが、オーディオマニアの悲しい性か、音の調子がイマイチだったりすると、書いてる内容もだんだんと迫力がなくなってくるから困ったものだ。

 前回だって、「カリフォルニアの青空のようにスカッと晴れ渡った録音云々」と書きながらも、スピーカーから出てくる音はどんより曇っていて、「こんな音じゃないんだけどなあ」と思いつつ書いてるのが読者にバレないかとヒヤヒヤ。

 何度も言ってるように、同じ曲を同じシステムでかけても、毎回同じ音では鳴らないものだ。良い音で聴けたら感動するが、音が悪いと感動しないという、ひじょうに軟弱な体質になってしまっているのである。

 そこで皆さんに訊ねたいのだけれど、皆さんは、好きなCDを聴いたら、いつでもどこでも、どんな音で聴こうとも、必ず100パーセント「ああ、いいなあ」と、すぐさま感動できるのだろうか。

 その昔、ジャズファンのお客さんで、スタン・ゲッツとケニー・バロンの『ピープル・タイム』を聴くと、必ず感動すると断言した人がいた。

『ピープル・タイム』こそゲッツの最高傑作であり、自分のなかでこれが一番と決めているので、いついかなるときでも、他のどんなレコードよりも感動できるのだと、すごい入れ込みよう。

 ゲッツ最晩年の渾身の演奏を収めた『ピープル・タイム』の素晴らしさについて異論を唱えるつもりはないのだが、「聴かせる側」に立った場合、ケニー・バロンのピアノと、ゲッツのテナーをバランスよく鳴らすのはけっこう難しい(と書きながら「ハッシャバイ」をかける…)。

 冷静で安定したピアノに比べ、死期近づきつつあるゲッツのテナーはやや勇み足で、音も強く録れている。そこがこのCDの心揺さぶられる感動的な部分でもあるのだけれど、伴奏のピアノも上から下までしっかり再生できなければ、わたしにとっての『ピープル・タイム』は完成しないのだ。

「オーディオマニアってのは、そんなつまらんことにこだわって、音楽を聴かないからダメなんだ」と思うでしょう。そのとおり。

 しかし他にも、チャーリー・パーカーのレコードなら、どんなに録音が悪くても「脳内補正」が働いて、気持ちよく聴けてしまうというお客さんも居て、ここまでくると、もういっそのこと聴かなくても思い浮かべるだけでいいんではないか。

 どこからが「妄想」で、どこまでが「音楽鑑賞」なのか、だんだん区別がつかなくなってくるが、じつは思い入れが強ければ強いほど、実際の再生音が良くなるケースもあって、なんともオーディオとは摩訶不思議なものである。

 ようするに、まだ音楽が改善できる、音楽再生にまだ自分の参加する余地があると思うからジタバタ落ち着かないわけで、手足を縛られ、ただ聴くしかないという状況に置かれれば、あきらめて音楽に集中することができるのだろう。

 そういえば、スーパー銭湯の脱衣場など、意外なところで流れてくるジャズが、やけに良い音で聞こえるのはそういうことか。いけない、いけない。

 ちなみに、前回の音が良くなかったのは、店内に貼った告知の貼り紙が原因だった。小音量にせよ、こういうものがビリビリと無作為に鳴ることは、演奏に下手な奏者が混じるのと同じこと。剥がしたとたん、音が正常に戻ったではないか。オーディオマニアの悩みは尽きない。

【収録曲一覧】
ディスク:1
1. イースト・オブ・ザ・サン,ウェスト・オブ・ザ・ムーン
2. ナイト・アンド・デイ
3. アイム・オーケイ
4. ライク・サムワン・イン・ラヴ
5. スタブルメイツ
6. アイ・リメンバー・クリフォード
7. ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド

ディスク:2
1. ファースト・ソング
2. ゼア・イズ・ノー・グレイター・ラヴ
3. 飾りのついた四輪馬車
4. ピープル・タイム
5. 朝日のようにさわやかに
6. ハッシャバイ
7. ソウル・アイズ

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